エイミーことエントリエ編集長の鈴木 栄弥が気になる人に自分らしい暮らし方や生き方のヒントをいただいてしまおうというこのシリーズ。第26回目のゲストは宮城県石巻市でアートディレクター/デザイナーとして活躍している安達 日向子さんです。

関わる人たちと“とも”に、美味しい魚と漁師のいるかっこいい風景を残していきたい

安達 日向子(あだち・ ひなこ)さん。武蔵野美術大学在学中に東日本大震災を経験したことを機に、東北地方に足を運びはじめる。大学卒業後は、東京や宮城でフリーのデザイナーとして活躍。2015年より一般社団法人 フィッシャーマン・ジャパンにアートディレクターとして所属し、水産業に関わるプロジェクトに携わりはじめる。2018年には “水産業の問題をクリエイティブに解決するチーム” 「さかなデザイン」を立ち上げ、代表兼クリエイティブディレクターとして活躍。

東日本大震災から8年。当時の経験からデザインの役割を考え続けた中なかで、デザイナーにできることは何か? と問い、行動しつづけた安達さん。宮城県石巻市に拠点を移し6年、水産業に関わるさまざまなプロジェクトを仕事にする現在、何を思い、どのように活動をされているのか、お話を伺いました。

デザインは、人の思いがあってはじめて実現する


——大学在学中におこった東日本大震災が、石巻を拠点に活動するきっかけとなったと伺っています。震災後は、私も「何かできないか」という思いに駆られましたが、実際に行動することができなかった苦い記憶があります。

安達さん:むずかしいですよね。震災当時、私は大学2年の春休みを過ごしていました。4月から、大学で震災について取り組む授業がはじまり、それを選択したことがきっかけで、現地に足を運ぶようになったんです。

写真や映像を通して被災地の様子を見ていましたし、美大生だったのでデザインで何かの役に立てるはずだと考えていたのですが、現状を目の当たりにしたら……。できることは限られているけれど、もっと役に立てないかという思いが湧いてきました。

——「私にできることは、何か」と?

安達さん:大学ではグラフィックデザインを専攻していたので、「社会において、デザイナーの役割とは?」といつも考えていました。大学4年に進級しても、震災ボランティアで出会った方や応援してくれた方がいる現地での活動を終わらせるという選択肢は、私の中にはなくて。卒業まで通い続け、作品にまとめることにしました。

この制作を通じて学んだのは「こういうことができる」というアイデアがあっても、現地で暮らす方々のリアルな気持ちや持続したくなるようなきっかけがないと、何も実現しない。でも反対に、思いは強みになるということや、そこにいる人たちと一緒に向き合っていくことが大事だということです。

—— 卒業後すぐに、石巻に拠点を移されたのですか?

安達さん:はじめは東京で広告の仕事もしていたのですが、どこかピンとこなくて。具体的に顔の見えない人のために何かをするということを、当時はうまくイメージできなかったんです。そんなときに震災を機に関わった方々の顔を思い出して。2013年に仙台、その後石巻へと生活拠点を移しました。

情熱を共有して何かをつくり上げていくことの積み重ねが
結果的に、世界を変えることにつながる

——拠点を移してからは、どのように過ごされていたのでしょうか?

安達さん:はじめは仙台や石巻、亘理町でローカルな仕事をしていました。地域のために活動をしている事業者さんに、フリーランスのデザイナーとして携わるお仕事が多かったですね。

2015年からは、「フィッシャーマン・ジャパン」という団体に所属しはじめて。震災をきっかけに三陸の若手漁師たちが自ら立ち上げた漁師団体で、水産業の未来をつくるためにさまざまなプロジェクトをおこなっています。

私自身は立ち上げメンバーではなかったのですが、これまでいろんなプロジェクトに関わり、現在は、いかに持続していくかが課題となっています。

——なるほど、そこで2018年3月に立ち上げた「さかなデザイン」の基盤ができたのでしょうか。現在もフィッシャーマン・ジャパンに所属しながら、さかなデザインの代表兼クリエイティブディレクターとしても活躍されていると伺っています。

安達さん:はい、「さかなデザイン」は“水産業の問題をクリエイティブに解決するチーム”です。

——具体的なお仕事を伺ってもいいですか?

安達さん:「サスティナブル・シーフード(*)」への取り組みを推進する東京の会社と一緒に、海洋資源を守るために必要なブランディングやデザインをおこなったり、海洋調査を専門におこなうダイバーの会社 フクダ海洋企画のロゴをつくったりしています。


ほかにも、漁師団体の立ちあげからPRまで一貫して一緒に取り組んで「どんな課題があるのか」「どうやりたいか」というところから運営に関わることもあります。

——「水産業に関わる」と一口にいっても、多様な取り組みがあるのですね。場所は、石巻とは限らないのですね。

安達さん:水産業に関連する案件に携わると、現場は自ずと日本各地の漁港に赴くことになります。

外から入ってきて「こうすればいい」と提案して、終わったらいなくなるのでは衰退するだけ。持続しなくなってしまうので意味がありません。だから、ただプロダクトのデザインをするだけではなく、継続的な価値を生み出していかなければなりません。

そのうえで「こういう世界をつくろう」とか「こんな戦略で経済圏をつくりだすようにしよう」と並走する必要があります。大事なのは、現地にいる漁師や地域の方、一人ひとりから丁寧に話を伺い、敬意をはらい、彼らにとってどこを目指すのがベストかを一緒に考えることです。

——水産業だからこそ感じるむずかしさはありますか?

安達さん:水産業ってクローズされているというか、入りにくいというか……。漁師さんでいうと、個人事業主が多く、海という共有財産から「獲ってなんぼ」の世界。横並びで何かを一緒にするという文化があまりありません。でもそれは、従業員や家族を守るための術として根付いたものだと思います。

——現在の水産業には魚の獲りすぎや環境問題、漁業従事者の減少などさまざまな課題を抱えていると伺っています。クリエイティブを通して、この世界と真剣に向き合っていくのは一筋縄ではいかないことも多いのではないでしょうか?

安達さん:そうですね。それでもこのままのやり方を続けていくと浜から人がいなくり、海から魚が消えてしまいます。何世代にもわたって続けてきた方法とは違うやり方で漁業を営んでいかなくてはいけない。それってすごくむずかしいことだと思います。

そんな難題に取り組むときはいつも、同じ問題意識を持った漁師さんや、耳を傾けてくれる漁師さんたちに助けられています。

——デザイナーという立ち位置で、そういった世界に入っていけるような人間力みたいなものが安達さんにはあるような気がします。

安達さん:震災後のさまざまな経験から、目の前にいる人たちのために何かをつくって、その反応をすぐに感じられるというのはものづくりの人間にとっては幸せなことなんだと気付きました。

何かをつくることで、「あれをつくった人だ」と地域の人にもすぐに受け入れてもらえたし、覚えてもらえました。

そこで何かを形にすることで、今まで入れなかった世界に入ることができる。そう思ったときに、今までデザインが入り込めなかった領域で、デザイナーとして社会の役に立ちたいと思ったんです。

——安達さんが大学時代に感じていた「社会において、デザイナーの役割とは?」という疑問への答えが徐々に鮮明になってきているのでしょうか。

安達さん:デザイナーという職種の方がたくさんいらっしゃる今、その中でいちばんいいものをつくるというよりも、私はデザイナーとして「この社会を良くするにはどうしていくべきなんだろう?」ということを考えています。

むずかしく聞こえるかもしれないですが、例えば目の前にいるむちゃくちゃ熱い漁師が「未来の漁業のためにこういうことをしたい!」といったら、その情熱を共有して何かをつくり上げていく、ということの積み重ねが世界を変えることにつながるんじゃないでしょうか。

「変える」のではない、あるものを「一緒に探す」

——今後も石巻を中心に活動をされていくのでしょうか?

安達さん:「石巻にいても私が関われる世界が広がっていく」という確信があるので、ここにいますが、石巻のことだけとは考えていません。海はつながっているから、水産業を通して世界を見たいんです。

今ある、あらゆる水産業の課題に対して本気で取り組まなければいけないときがきています。そのとき、現場の漁業従事者がその課題を理解し議論できるか、消費者を含む多くの人が日本全体の水産業という単位でものごとを見られるかが課題ですね。

——限られた枠からもっと大きな枠で考えていく、ということですね。8年前から気持ちに変化はありましたか?

安達さん:それこそ当時は、地域単位で考えていたこともありますが、それには限界があります。それに、石巻にきたら「ここ、すでに良いところじゃん」って。ここに住んで「楽しいな」と思った瞬間に、私がまちを変えようという気持ちは消えました。むしろ「このままでもいいかな」と(笑)。

私がここで生活をすることでいろんな人が外から遊びにきたり、私が関わるプロジェクトがさらに多くの人を巻き込んだりする、その営みがあることが、石巻というまちに貢献していると思うようになったんです。

——安達さん自身がこのまちに合ったという部分もありますか?

安達さん:合う、合わないじゃなくて、結局は人間関係かなって。それに、新しく何かをはじめたり持ってきたりするのではなくて、ここにあるものを面白いと感じる感性を持っていれば、どこにいても楽しめます。

仕事でも、暮らしでも、物事をいろんな角度からみると形が違うけれど、角が立つと誰かに刺さって攻撃的になってしまう。なので、何事も 球体のように捉えるようにしています。今やっている仕事でも、私の考えを頑固にもって「こっちのほうがいい!」と流れに逆らうやり方はしません。だからこそ、みんなも受け入れてくれていると思います。

——これから先、安達さんが思い描く未来について教えてください。

安達さん:海の資源を、現場の人たちとどれくらい考えていけるかですね。美味しい日本料理は、旬を表現できる魚と密接な関係にあります。もし水産に関わるさまざまな問題が原因で、そういうものが食べられなくなってしまうことを考えると、文化がなくなってしまうということだし、それはこれからの世代にとって悲しいこと。

船に乗せてもらって分かったんですけど、漁師の世界ってすごくかっこいいんです。漁師たちのいる風景が日本からなくなるのは日本人としては寂しい。

純粋に美味しいものは食べたいし、かっこいい風景は残したいなと思います。

*サスティナブル・シーフード

水産資源や環境に配慮し適切に漁獲された水産物、または、環境と社会への影響を最小限に抑えて育てられた水産物。サステナブル・シーフードに認定された魚を食べることは、海の資源を守ることにつながる。

「各船は漁をするポイントが決まっていて。漁港からそこに向かって、迷わずにすごいスピード出して、ガーッと進むんです」とお話ししてくださった安達さんの至福のひとときは「漁にでているとき」だそう。

●インタビュー・編集 / 細野 由季恵
●写真 / 福田 介人
Instagram ▷ https://instagram.com/k.fukuda_uwphotography
●文章 / 安田 あゆみ
●校閲 /村田 彩子