第45回目のゲストは、神奈川県茅ヶ崎市にある茅ヶ崎館五代目・森浩章(もり・ひろあき)さんです。
森 浩章(もり・ひろあき)さん
神奈川県茅ヶ崎出身。高校卒業後、TCA専門学校で自動車デザインを学ぶ。22歳の時に小津 安二郎(おづ・やすじろう)監督ゆかりの宿「茅ヶ崎館」を継ぐことを決意し、ワーナー・マイカルシネマズで販売促進と管理に携わる。現在、茅ヶ崎館の五代目として地域の文化意識向上の活動を積極的に立ち上げている。茅ヶ崎映画祭の代表や湘南邸園文化祭の副会⻑などを務める傍ら、茅ヶ崎を舞台にした映画「3泊4日、5時の鐘」をプロデュースしている。更には茅ヶ崎の文化景観を育む会の事務局を務めるなど、マルチな才能を発揮し活動している。
▷茅ヶ崎館 公式ホームページ http://chigasakikan.co.jp/
海にほど近く、まるで南国のような雰囲気に惹かれ住まいを探す方にも人気の神奈川県茅ヶ崎。このまちに、日本の映画史には欠かせない歴史深い宿があることをご存知でしょうか?
1899年(明治32年)に創業した「茅ヶ崎館」です。茅ヶ崎に多く存在した海浜旅館としての雰囲気を残す貴重な空間。世界的な映画監督・小津 安二郎氏*が茅ヶ崎館を定宿として利用し、今も残る「二番」のお部屋で『父ありき』(1942)、『長屋紳士録』(1947)、『風の中の牝雞』(1948)、『東京物語』(1953)など数々の作品の脚本を執筆しました。
実は茅ヶ崎館は、筆者(ライター・村田)が10年以上前にアルバイトでお世話になっていた旅館でもあります。現在も多くの映画人に愛されている茅ヶ崎館の五代目・森浩章さんに、小津監督にまつわるエピソードや、茅ヶ崎の映画文化を育みつなげていくために取り組んでいることについて、お話を伺いました。
※映画監督・小津 安二郎氏… “ロー・ポジションによる撮影や厳密な構図などが特徴的な「小津調」と呼ばれる独特の映像世界で、親子関係や家族の解体をテーマとする作品を撮り続けたことで知られ、黒澤 明や溝口 健二と並んで国際的に高く評価されている。”(Wikipedia 小津 安二郎氏より引用)
映画監督・小津安二郎を父のように慕っていた四代目
――森さんが茅ヶ崎館の五代目当主となられたのはいつからでしょうか?
森さん:震災の年の2011年です。
――いずれ当主にというのは、小さい頃から考えていたんでしょうか?
森さん:なんとなく、いつか自分が継ぐだろうなとは考えていましたね。兄と姉がいますが、両親は「誰が継ぐ」などとあまりいう親ではなかったので、それが逆に良かったのかもしれません。
――映画監督の小津 安二郎氏(以下、小津監督)は、茅ヶ崎館の「二番」のお部屋を定宿にして脚本執筆していたことで知られています。小津監督がはじめていらっしゃったのは、四代目であるお父さまが小さいときだとか。
森さん:はい、昭和12年4月27日火曜。親父が7歳のときですね。父は小津監督の日記にも「かっちゃん」として登場します。
――小津監督は毎年、「二番」のお部屋に半年くらい滞在されていたんですよね。
森さん:親父が7歳から25歳の頃にかけて、茅ヶ崎館に毎年いらっしゃっていました。親父は小津監督と一緒に映画を見に行ったり、食事に行ったり、大船の撮影所に「ラッシュ」という、編集前のカットをつなげる作業を見学させてもらったりと、相当贅沢な経験をしています。
親父の中で「小津監督」や「映画」は特別な存在でしたが、そんなエピソードは全然聞かされていなくて、はじめて知ったのは僕が20歳くらいの頃。それ以来、親父と一緒に車に乗るときはインタビューの時間。親父が喋ったことを全部覚えて、パソコンに記録しました。
――世界に名だたる映画監督とのエピソード。お父さまもそれをわざわざいわず、自然と自分の中の体験にしていたのが素敵ですね。
森さん:ただ単に無頓着なだけで。親父は小さい頃に実の父親を亡くして、後から来た新しいお父さんともうまくいかない中で、7歳のときに現れたのが小津監督。小津監督はとても優しくて親戚のおじさん以上に身近な存在で、みんなから「先生」と慕われる立派な方。もちろん惹かれていきますよね。
――7歳〜25歳という多感な時期に、小津監督は心の大事な部分の支えになっていたんですね。
森さん:小津監督は昭和30年代になると蓼科(長野県茅野市)に行ってしまい、茅ヶ崎へは『浮草』(1959)での撮影を最後に一切来なくなります。そのまま昭和39年に亡くなられて。
親父の中では、小津監督との離別が相当ショックだったみたいです。あるとき「なんで小津監督はいなくなっちゃったんだろう」ってぼそっといったんです。普段そういうことを口にしないのに。
――お父さまが小津監督と、そんな密な思い出があったというのははじめて知りました。森さんが聞き出さなかったら、ずっとお父さまの胸の中にしまわれていたということですよね。
森さん:そうなんです。親父に話を聞けたのが、僕としてもいい思い出だし、茅ヶ崎館の貴重なストーリーにもなっています。小津監督と親父は、昭和12年に一緒にお風呂にも入っているんですよ。
――お風呂も一緒に!
森さん:なんで昭和12年と分かったかというと、一緒にお風呂に入ったときに「かっちゃん、今度中国に行くんだけどお土産何が良い?」って尋ねられたんですって。親父はそのときに切手を集めていたので「切手が良いです」と答えているんです。その「中国に行く」というのは、実は、日中戦争に徴兵されたということだったんです。小津監督にとっては壮絶な戦争体験で、戦友も沢山亡くして。奇跡的に帰国して書いたのが『父ありき』(1942)という作品。
それが分かると、なんで小津監督がああいう作品をつくったのか、小津監督自身の家族関係や、うちの親父の家族関係、小津監督との人間関係まで想像できてきます。小津監督が、自分の身の回りのできごとをテーマにした作品をつくったり、「家族」という世界に通用するテーマで勝負している背景がが分かるようになってきます。
茅ヶ崎館ならではの空間をつくり上げていく
――お父さまは森さんが聞き出すまで、小津監督にまつわるエピソードを胸に秘めていたとおっしゃっていました。それをちゃんと聞き出して発信しようと思ったきっかけは何でしょうか?
森さん:きっかけは1999年の茅ヶ崎館100周年。新聞社の方が父に「せっかく100周年だから小津監督に関する企画をしましょう」と持ちかけてくださったんです。僕は当時、小津監督のことは名前を知っているくらいで作品は詳しくなくて。親父に茅ヶ崎館の映画にまつわる歴史を聞いていったら、かなりの情報があったので、そのストーリーをちゃんと集約して、茅ヶ崎館の売りとして発信していかないと今後生き残れないなと思いました。
――その前までは積極的に発信はされてこなかったんですか?
森さん:まったくなかったですね。2003年が小津監督の生誕100周年で、日本だけでなく世界各国で小津監督の功績を顕彰する映画祭がたくさん開かれました。そのときに、茅ヶ崎館としてもちゃんと小津監督のことを掘り起こしてご紹介しました。2日間無料の見学会を行ったところ、1日1000人以上の方がいらっしゃって。茅ヶ崎市内だけではなく、市外や海外からも多くの方が訪れてくださいました。
それまで世界の中での小津監督の位置づけについて、あまり良くわかっていませんでしたが、生誕100周年の一年間を過ごしたら、これは大変なことだと思いましたね。
――そこからはどのような取り組みを?
森さん:蓼科では小津監督の別荘であった無藝荘にちなんで、1998年から「小津安二郎記念蓼科高原映画祭」を開催しています。茅ヶ崎でもいつかそういうことをやっていかないといけないな、と思っていました。徐々に旅館としての仕事を軌道に乗せながら、通常の宿泊だけでなく飲食部門もはじめました。
――館内も、創業時の面影が残るような古き良き雰囲気を活かした空間づくりを行っていらっしゃいますよね。これも森さんが働き始める以前は違う雰囲気だったんでしょうか?
森さん:以前は今みたいな雰囲気ではなく、一般のお客さまというよりはビジネス旅館として使われる方がメインでした。せっかく親父が50年かけてつくった庭もあるし、ここの良さを理解してもらえる人たちにもっと来ていただきたいと思いました。
――調度品も一つ一つ、茅ヶ崎館に合うものを選んでいらっしゃいますよね。どういったポイントで揃えていらっしゃるんでしょうか?
森さん:とにかく茅ヶ崎館に合うもの、まるで昔からあったかのようなものだけを揃えるようにしています。たとえばうちの調度品は、民芸のものがすごく合います。以前、日本民藝館を訪れ、柳宗理の自邸も見学した際、時代的なものや建物のつくりが茅ヶ崎館の雰囲気にそっくりでした。そこからは、民芸のものを多く置いています。
小津監督も実際に日用雑器として使っていたのが、民芸の器でした。
――民芸は「用の美」。旅館という空間も、人が使うことで味わいが出てきます。そういう点でも雰囲気がマッチしそうですね。この場所に合うものの取捨選択や審美眼を養うために、大切にされていることはありますか?
森さん:海外を含めて、色々なお店には足を運びます。僕自身、海外に行ってはじめて茅ヶ崎館の良さを感じました。
置いてあるものの統一感を出し、その空間に似合うもので揃えていくほうが個性として強くなる。お客様が「今日はここに行ってみようかな」とポッと思い出すのって、個性があるお店じゃないですか。「自分がほしいから」ではなく、その空間のことを考えながらプロデュースするという考えを大事にしています。
――一つ一つ丁寧に空間をつくり上げるからこそ、遠方からわざわざ訪れるきっかけにもなりますね。
森さん:そうですね、何を置くかで家族とぶつかることもありますが(笑)。
現役の映画人も滞在
茅ヶ崎館から数々の名作が誕生
――現在は是枝 裕和(これえだ・ひろかず)監督も、小津監督の泊まった「二番」のお部屋を定宿にしているそうですね。
森さん:はい。2007年、ちょうど『歩いても、歩いても』(2008)という作品の執筆に取りかかる頃、茅ヶ崎館が現存するということを知り、冷やかしにでも行ってみるかと来てみたら集中できるということで、毎年来てくださっています。
2009年まで何度かいらっしゃっていたのに、実は僕は気づいていなかったんですよね。2009年に当時アルバイトとして働いてくれていた村田さん(筆者)が「是枝監督いらしてますよ、知っていますか」っていってくれて、はじめて気づきました。ああ、現役で活躍している映画監督も来てくださったと、あの時結構感動していました。
――確か、西川 美和(にしかわ・みわ)監督や助監督さんたちと合宿にいらっしゃっていて。
森さん:是枝監督が新作の第一稿を書いて、それを助監督さんたちが清書して、というプロセスを茅ヶ崎館でやっていらっしゃるそうです。西川監督はその横で、ご自身の作品を執筆されて。
――すごい。作品を最初に生み出すところを茅ヶ崎館で行っているんですね。「二番」のお部屋は建物の突端といった感じで、周りがお庭の緑に包まれていて静かですよね。執筆に集中できそうです。
森さん:二番のお部屋はわざと、Wi-Fiの電波が繋がらないようにしているんです。是枝監督もあるとき「あれ、わざとでしょ」って気づいてくださって。勝手な想像ですけど、作家の方はまず自分の今まで生きてきた知識の中で、まずは間違ってもいいから書いたほうが、勢いよく良いものが書けるんじゃないかと思っていて。
距離感は大切にしたいので、是枝監督が滞在されたときはご挨拶くらいで全くお話はしないのですが、言葉にはせずとも、そういう思いを理解してくださっていたことが嬉しかったですね。
――是枝監督は、今や国際的に評価される映画監督ですよね。
森さん:『そして父になる』(2013)がカンヌ映画祭で審査員賞を受賞した際、「僕は普段、小津監督が仕事をしていた茅ヶ崎館で執筆している」といってくださったんですよ。それを聞いたドイツのドリス・デリエ監督が、その後うちに何日か滞在して。2年後に「茅ヶ崎館を舞台にした映画を撮りたい」と、脚本が届きました。それが、俳優 樹木 希林(きき・きりん、以下、希林さん)さんの遺作となった『命みじかし、恋せよ乙女』(2019)です。
――映画では希林さんが、茅ヶ崎館の女将さんを演じていらっしゃいますよね。それも監督が茅ヶ崎館で女将さんと交流する中で、希林さんに女将さんを演じてもらいたいと思ったんでしょうか。
森さん:そうだと思います。希林さんが撮影で茅ヶ崎館に滞在したのは2泊3日。撮影に入る前に女将と会話しながら、ご自身が女将として再現できることをすぐ吸収し、でも丸々吸収するのではなく、自分なりの解釈で表現されていました。YouTubeで公開されている予告編では、希林さんが女将としてお客さんを出迎えるシーンが入っています。
――お庭や時間を重ねた木目の風合いなど、茅ヶ崎館の美しさが作品の映像として随所に記録されていますよね。
茅ヶ崎を舞台にした映画文化の創造
――森さんは今年で10周年となる「茅ヶ崎映画祭」の実行委員長も務められています。この映画祭が始動したきっかけは?
森さん:2003年の小津監督生誕100周年を契機に、各地でさまざまな映画祭があることを知りました。色々と調べていくうちに、茅ヶ崎にも映画にゆかるのあるストーリーがたくさんあるので、映画祭はあって当然といった思いを抱いていました。
2011年に東日本大震災が起こり、自分自身やりたいことを考え直す時間ができた時、茅ヶ崎映画祭の話が持ち上がりました。ただ、小津監督のストーリーのある場所での映画祭は、始めるとなると責任が相当重い。一度始めたら辞めてはいけないという覚悟で始めました。
――上映する映画はどういうポイントで選んでいるんですか?
森さん:茅ヶ崎にゆかりがあったりと、運命的に出会う作品を上映しています。上映時には、作品にゆかりのある方を呼んでトークショーも行います。2018年には『歩いても、歩いても』の上映後に是枝監督とトークショーを行いました。
――2021年は6月12日から開催されます。今年はどういった作品を上映されるんでしょうか?
森さん:10周年ということで、茅ヶ崎館では小津監督の『東京物語』(1953)を上映します。また茅ヶ崎在住の山本康士(やまもと・こうじ)監督による『マカリス』(2019)という作品や、三好 大輔(みよし・だいすけ)監督・川内 有緒(かわうち・ありお)監督による『白い鳥』(2021)というドキュメンタリーを上映します。昨年はオンライン開催でしたが、やはり人と一緒に見て、見た後にトークがあるなど、ライブ感がないと僕自身飢えてしまうと思って、今年はできる限りの感染対策を取りながらリアル会場で実施することにしました。
――森さんは、映画のプロデュースにも関わっていらっしゃると伺いました。
森さん:はい。三澤 拓哉(みさわ・たくや)監督の初監督作品『3泊4日、5時の鐘』(2014)をはじめ、3本の映画のプロデュースに携わりました。企画や資金調達、また湘南地区の邸園等を保全活用する「湘南邸園文化祭」の副会長でもあるので、ロケ地のブッキングにも協力しました。そうやって、湘南地域での広い意味でのシネマコミッションに携わっています。
――茅ヶ崎館という場で、新しい文化が次々と創造されているんですね。
珈琲サロンを通した新たな広がり
――今年の春からは「珈琲サロン」という新しい取り組みをはじめたと伺いました。珈琲サロンを始めたきっかけは?
森さん:喫茶をやれば知らない人でも気軽に茅ヶ崎館に来れるということは、ずっといわれてきました。ただ、ひとりで宿泊や飲食もやりながら本当にできるんだろうかと思っていて。コロナを契機にじゃあやってみようと思い立った時、半年ほど前に偶然、近所で開催されていた珈琲のワークショップでバリスタの金子 智(かねこ・さとし)さんと出会いました。
お話するうちに、金子さんご自身の人物像に惹かれて、その後金子さんに淹れていただいた珈琲を飲んだら美味しくて。「これならできるんじゃないか?」と思い、今年の4月29日からはじめました。
――現在はどのようなスケジュールで行っているんですか?
森さん:水曜〜日曜の11時〜16時に行っています。
――どういう方がいらっしゃっていますか?
森さん:最初は僕とFacebookでつながっている人が主でしたが、東京から金子さんの珈琲のファンが週3日来てくださったこともあります。普段茅ヶ崎館に出入りしている人も、珈琲サロンという違う形で茅ヶ崎館に来ていただくと「すごくいいね」といってくださいます。金子さんの珈琲を飲むと、不思議と元気になるんです。うちの女将やスタッフも朝飲むと、やたら饒舌になって(笑)。
――新たな広がりを感じますね。これから茅ヶ崎館として取り組んでみたいことがあれば教えていただけますか?
森さん:今はとにかく珈琲サロンの可能性を感じています。サロンという場で、映画や音楽に携わる人たちが新たに交流できたらいいですね。
――サロンを舞台に、また新たなコミュニティーが生まれそうですね。縁側、和室の空間といった、場面に応じて区切れたり繋がれたりという空間も、その場づくりの契機になりそうだなと感じました。
珈琲サロンでお客さまと談笑する時間がすごく楽しい、という森さん。その日いらした方と、映画や珈琲、車などさまざまな話題で会話がはずむそうです。
お知らせ
●茅ヶ崎映画祭
日程:2021年6月12日(土)〜27日(日)
会場:茅ヶ崎館、CREATIVE SPACE HAYASHI、茅ヶ崎市立図書館
上映作品・予約方法など:公式HP
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「茅ヶ崎映画祭10周年記念特別招待作品」として、茅ヶ崎出身の桑田佳祐氏が監督を務めた『稲村ジェーン』を特別上映!
日時:6月25日(金)18:00〜
会場:イオンシネマ 茅ヶ崎(神奈川県)ほか全国5大都市で同時上映
チケット販売:6月21日に作品特設サイトでご案内
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●珈琲サロン
日時:毎週水曜〜日曜 11時〜16時
会場:茅ヶ崎館
予約:不要
茅ヶ崎館
住所:〒253-0055 神奈川県茅ヶ崎市中海岸3-8-5
TEL:0467-82-2003
FAX:0467-82-3133
HP: http://chigasakikan.co.jp/
●インタビュー・撮影・文 / 村田 あやこ
●編集 / 細野 由季恵