同じ場所へ行っても、同じ道を歩いていても、人によって見えているものは違います。たとえば駅前にあるチェーン店のコーヒーショップが、ある人にとっては仕事の打ち合わせでよく使う場所、ある人にとっては恋人と別れ話をした場所かもしれません。何気なくそこにある場所であっても、人それぞれの大小さまざまな物語が刻まれています。自分にしか見えていないその景色にグッと踏み込み、場所や人と対話し、生まれた発見を記録する。そこから見えてくる、「感情の見える豊かな地図」があるかもしれません。
今回ゲストにお迎えしたのは、今年で活動開始して10年目になるという「手書き地図推進委員会」中心メンバーのひとり、赤津 直紀(あかつ・なおき)さん。彼らは独自の「愉しむ視点」を持ちながら、日本各地のユニークな手書き地図の収集や、対話を通じて地域の人ならではの視点が詰め込まれた手書き地図の制作をしています。
エントリエのショールームにお招きし、まち歩きをライフワークにしているライター村田が、赤津さんの活動やご自身の暮らしについて伺いました。
住人目線でのエピソードが可視化された地図
──「手書き地図推進委員会」は、どのような経緯で立ち上げられたんでしょうか?
赤津さん:「手書き地図って面白いよね」という共通項を持ちながら、それぞれ違った視点を持って集まったおじさん4人で結成しました。たとえば私の場合は、スマホがない時代に『ツーリングマップル(昭文社)』という紙の地図を見ながらオートバイで旅行していたときのこと。ツーリングしながら「ここは紅葉がきれいだった」「この蕎麦屋にはこういう人がいた」といった、地図に載っていないことも書き込んでいくと、同じ地図でも人によって見えているものが違うことが分かります。その差分がすごく面白いなと思ったのが、僕が手書き地図に興味を持ったきっかけです。
──手書き地図の面白さに気づいた人が4人も集まったとは、すごいですね。立ち上げ後は、具体的にはどのような活動をされていたのでしょうか?
赤津さん:最初は、メンバーそれぞれが集めた手書き地図をホームページで発表したり、作者の方にインタビューさせていただく活動から始まりました。
その後は、色々な地域で地元の方と一緒に手書き地図をつくるワークショップも行うようになりました。
──たとえば、ご著書『手書き地図のつくり方(学芸出版社)』に掲載されている埼玉県ときがわ町の「ときがわ食品具マップ(P.32)」。「クルマを止めて降りてみて 頭の中がポカーン」など、独特のユニークな表現で地域の見どころがぎっしり書き込まれていて、すごいですよね。
赤津さん:ときがわ町の小物屋のご主人が書き続けている、ドライブやツーリングに来る人向けの地図ですね。
ご主人の地図は主観で書かれているからこそ、一緒に地域を回っている気分になれるんです。メンバー全員で「これはすごいぞ」という話になり、実際にお会いしてお話を伺ったり、地図を見ながら歩いてみたりしたこともありました。地図の半分くらいしか歩けませんでしたが(笑)。
──この間偶然、ときがわ町の近くを訪れたんですが、一見何もなさそうな場所に見えても、住人の方のお話を伺うと「ここには昔魚屋があって、刺身を買うのが好きだった」みたいなお話が出てきて。手書き地図は、そういった“住んでいる人目線の細やかな情報やエピソード”が可視化されたものなんですね。
赤津さん:おっしゃるとおり。まさにそうなんです。
住人が自ら愉しんでいるものこそ、まちの魅力
地図の収集からはじまった「手書き地図推進委員会」の活動。“地域の魅力を人に伝える手段”として「手書き地図」に可能性を感じた地方自治体や学校、企業からの依頼で、手書き地図をつくるワークショップでファシリテーション(プロジェクトの進行や支援)を行うこともあるそうです。しかし、いざ地図をつくるとなると、最初は自分の住んでいる地域は「何もない」と感じている方も多いのだといいます。 |
──自分の暮らす地域だと、謙虚な気持ちで「うちの地域ってなにもないよ」とおっしゃったり、住んでいると意外と気づかないこともあるのではと思います。でもどんな場所でも、ときがわ町の地図のような豊かな情報に満ちているはずですよね。地域の魅力を引き出すために、大切にしていることはありますか?
赤津さん:あえて言えば「面白がる力」を高めることかな、と思います。「なんでここに○○があるんですか?」とか「この狛犬はさっき見たやつと一緒だ」とか。いろんなところに目線を向け、参加者の方と一緒になってまちを愉しむことだと思います。
たしかに「うちの地域には何もないんだよ」ということは、起こりますね。でも、よくある「日本で一番の○○」「最古の○○」といった由緒あるものだけがまちの魅力ではないんです。むしろ、住んでいるみなさんが愉しんでいるものこそが、本当のまちの魅力だと気づいてもらえると、話が早く進みますね。
そういうところにお互いうまく気づいていけるかというのが、「面白がる力」の極意なんだろうなと思います。
──たしかに「地図をつくる」となると、ゆかりのある場所や歴史的人物を求めてしまいがちかもしれません。
赤津さん:よくあるのが、道から書きはじめてしまうこと。でも目的地にたどり着くための地図ではないから正確である必要はなく、あくまで書き手の人がこういう目線で愉しんでいるんだなという物語が大切です。
たとえば「チョコクロワッサンがおいしいカフェ」ではなく、「お母さんには内緒で、お父さんとお姉ちゃんと私でチョコクロワッサンを食べたカフェ」というと、ただのカフェではなくなりますよね。「お母さんに内緒にしなきゃいけない事情があったのかな」「お父さんは娘たちとまだカフェに行ってくれるんだな」といった物語が広がっていくんです。
──ファシリテーションの際は、そういったエピソードを聞き出していくんでしょうか。
赤津さん:「誰と行ったんですか?」など具体的な質問をして、どんどん引き出していきます。
──住んでいる人は当たり前で日常に埋没していることでも、外の視点で、かつ面白がってくれる人の反応があることで、「これって珍しいことなんだな」という発見が引き出されるのかもしれませんね。
そういったファシリテーションの勘所は、委員会のメンバーのみなさんの間でも共有されているんですか?
赤津さん:どうしようかな、取材だからな……「ない」と言えないですよね(笑)。しっかり情報交換はしています。
──(笑)。みなさんの堅苦しくない自然体な雰囲気が、参加者が話したくなる秘訣かもしれないですね。これまで数々のワークショップを重ねられてきて、印象的な参加者のエピソードはありますか?
赤津さん:東京都大田区の小学校で授業をした際、「久が原・御嶽山(東京都大田区)絶景マップ」をつくったんですね。「晴れていると富士山が見える」、「公園の遊具から見える夕日がきれい」などそれぞれが思う絶景が紹介されていました。
そんな中で、「パン屋さんに入った瞬間、きれいなパンが並んでいる」って書いたお子さんがいて。パン屋さんに行くと、大人の目線だとパンを上から見下ろしますが、その子は多分パンと同じ目線なんですよね。土曜なのか日曜なのか、お父さんやお母さんと一緒にパン屋に行って扉を開けた瞬間、パンが並んだ様子が、その子にとっては絶景だった。
なんて素敵な表現をするんだろうと、ハッとしましたね。
──大人だとなかなか気づけない視点かもしれませんね。
赤津さん:パン屋さんって「おいしい」が先行してしまいますよね。「絶景」と感じられるのは素敵なことだし、そういう視点を忘れてしまったなと反省もしましたね。
日本ナンバーワンの名所も、個人的なエピソードも両方愉しい
──これまでの活動を通した視点が生きていると感じることはありますか?
赤津さん:本業の仕事に生きているなと思うことはありますね。デジタルマップをつくる仕事に携わっていますが、「A地点からB地点まで15分」といった情報だけではなく、手書き地図的なコンテンツが生きてくることがありますね。相乗効果を感じられています。
「面白がる力」はまだ全然足りていないので、日々培っています。仕事で締め切り間際のピンチなときでも愉しんで乗り越えてやろう、みたいな。
──たとえば引っ越しや転職などで縁もゆかりもないまちにやってきたとしたとき、赤津さんならどうやって開拓していかれますか? 新しいまちをどう愉しむか、ヒントがあれば伺いたいです。
赤津さん:手書き地図的なニュアンスって、「駅チカ」とか「南側」とかいう尺度じゃない愉しみ方だと思うんですよね。たとえば「釣りが趣味の店主がやっている居酒屋の居心地がいい」「駅から遠い素敵なご夫婦が営むパン屋さんがあって、そこのサンドイッチがお気に入り」みたいな愉しみ方をすると、まちの違った魅力が見えてくるかもしれません。
ちなみに私が今住んでいるまちが面白くなったきっかけは、子どもの保育園のパパ友がやっていた居酒屋に行きはじめたことです。仕事も何も関係なくいろんな人が集まるから、パパ友つながりで知り合いが増えたときに、はじめて「まちに住んだ」という感覚を持てました。
そうやって「お気に入りの○○を見つける」みたいに、自分が好きなものと近い共通項を見つけに行くと、まちが面白くなるんじゃないでしょうか。
──お話を伺っていると、「ないもの」を追うのではなく「あるもの」を愉しもうという姿勢が素敵です。
赤津さん:僕らみたいな手書き地図の活動も、ちょっと前までは、まちにナンバーワンがないと、なにか名物をつくってそれがまちの魅力のように押し出すような動きもありました。テレビからだけではなく、さまざまな媒体を通して情報が得られる時代になり、「いろんな愉しみ方がある」ということに、薄々でもみんな気づきはじめましたよね。一言でいうと多様化なんでしょうか。
誰かがつくったお仕着せのものではなく、「身近なもののなかから興味関心のあるものを考えて、自分たちで発信すること」の価値が見直されつつあるというか。
昔は紙に書いてひっそり数人しか知り得なかったかもしれないことが、今はテクノロジーのおかげもあって身近な愉しみを気軽に発信できるようになりました。
日本全国ナンバーワンとか、ミシュランで星3つということもすごいことなんだけど、そうじゃないことだって面白くて、どちらにも価値がある、と。
──手書き地図推進委員会として、今後取り組んでいきたいことはありますか?
赤津さん:去年から「手書き地図アワード」をはじめました。小学校で通年の授業を行うと、年度末に出来上がった地図を子どもたちが送ってくれることがあったんです。せっかく同時並行でいろんな地域でやっているので、子どもたちに地図づくりのプロセスをプレゼンしてもらうプレゼン大会をやったら面白いんじゃないか、と思い去年から「手書き地図アワード」をはじめました。
「島根県は川がこんなに綺麗だ」「うちのまちにはホタルが出る」みたいなのをお互いに発表し合う場を持つと、もっと愉しいんじゃないかな、と思って。
──別の地域の子の話を聞く機会は貴重ですね。ホームページを拝見すると、昨年はユニークな地図が粒ぞろいでしたね。
赤津さん:面白いですよ。昨年は4、5校参加して、約80作品が集まりました。
どこで何をすればサッカーがうまくなるかを地図で表した子どももいました。学校の周りの公園を紹介しているんですが、「この公園は凹凸があるからドリブルがうまくなる」「この公園ではジャングルジムをゴールに見立ててシュートがうまくなる」とか、そういうことが書いてあるんです。
この子たちはサッカーが本当に好きで一生懸命練習しているんだな、というのが読みながら伝わってきました。
──その子ならではのノウハウが詰まった地図なんですね。
赤津さん:第一回目は小学生限定だったんですが、今年は学生まで年齢層を広げる予定です。ゆくゆくは大人も参加できたらいいなと思っています。
──今後もいろいろな世代の地図が集まるのが、待ち遠しいです!
掃除が好きだという赤津さん。洗車したり、窓のサッシのカビを綿棒で取ったりして、きれいになった瞬間が至福だそうです。