今回お話を伺ったのは、まちを音楽のように味わいたい静岡市のまちづくり集団「シズオカオーケストラ」代表の井上泉さん。生まれ育った静岡で、まちを楽しむためのさまざまな場を生み出している、井上さん。
「まちづくり」と一言にいっても、その方法は担い手やそれぞれのまちによってさまざまです。井上さんのつくる場は、まちを歩く人々の喋り声や道に転がる小石ひとつでさえ愛おしくなるような、温かみにあふれています。
意外にも「若い頃は静岡から出たかった」という井上さん。「シズオカオーケストラ」を立ち上げるまでのことや、新たにオープンした実店舗「しずおかのひみつ(静岡県葵区)」について、お話を伺いました。
徐々に廃れていくまちを見て、やれることはないかと思った
──井上さんは、もともとご出身も静岡なんでしょうか。
井上さん:静岡の町中にあるお寺で生まれ育ちました。静岡の市街地はまちの規模感が小さくて、例えば彼氏とのデートを親に告げ口されちゃう、みたいなことも(笑)。若い頃はそうした窮屈さがいやで「静岡から出たい」という気持ちが強かったんです。
大学を機に上京して、卒業後もそのまま東京で就職するつもりだったんですが、家庭の事情もあり一旦静岡に帰らなければならなくなりました。
静岡のテレビ局で放送進行の仕事をしていたんですが、その仕事をしている間も東京に戻りたくて仕方なくて、「お金がたまったら出ていく!」と、再び東京に戻ることにしたんです。
でも、お酒を飲める年齢になり、会いたい人たちに会いにいけるようになった自分が見る静岡のまちは、高校生の自分が知っていたまちとは別物だったんです。いろいろな人がいて、自分自身も自由でいられて。昔自分が感じていた静岡は、ほんの一部分だったんだなと気づいて、その頃には静岡のまちが好きになっていました。
東京に出てテレビ局で働いたんですが、結婚を機に26、7歳で再び静岡に戻ってきました。
──静岡に戻ってからは、どのように活動を広げてこられたんでしょうか。
井上さん:静岡に戻った当初は、デザイナーの転職支援の会社に勤めました。その頃、地元の映画館が閉館したり、母校が少子化で閉校したり、商店街にシャッターが目立ってきたりと、まちが徐々に廃れていって。
自分が幼い頃に感じていたまちのにぎわいが失われていくのを感じて、もっとやれることがあればやっておきたいと、「まち」に興味を持つようになりました。
「誰がまちを動かしているんだ?」ということを調べるために、大きなイベントやまちづくりに取り組むNPO団体の例会などに参加する中で、次第にイベントの運営を手伝ったり、自分自身のイベントも立ち上げるように。
──ご自身でもまちづくりに関与するようになったんですね。
井上さん:2010年に、お世話になっていたイベント主催者の方に背中を押されて、「green drinks shizuoka」というイベントを小さく立ち上げて。これは“持続可能な社会を考える”という趣旨の飲み会で、毎回「静岡 ✕ ゲストハウス」「静岡 ✕ クラフトビール」など、「静岡」となにかのテーマをかけ合わせた企画をしました。静岡でおもしろい活動をしている人たちの話を聞いたり、ボツになった都市計画を引っ張り出して語り合ったりと、まちをネタに飲む場を定期開催したんです。
参加者ひとりひとりをステージに上げたい
──シズオカオーケストラは、どのような経緯で立ち上げに至ったのでしょうか?
井上さん:green drinks shizuokaを始めた当初は、まちにもっとにぎわいを生み出さなければならないと、肩に力が入っていました。ただ続けていくうちに、まちを変えるというよりは、自分の視点や楽しみ方を変えれば、静岡にはおもしろい人や動きがすでに存在すると気づいたんです。そうしたことを皆で分かち合える機会を能動的に仕掛けていきたいと考えて、2014年に「シズオカオーケストラ」を立ち上げました。
──シズオカオーケストラの企画は、言葉選びを含めて、柔らかさと温かみのある装いが印象的です。企画の際は、どのようなプロセスを取られているんでしょうか?
井上さん:まずは自分ひとりでノートに考えを書き出した後、行政職員、フリーデザイナー、営業マン、会社役員など、さまざまな属性のコアメンバーに一度内容を投げます。内容がつまらないと反応が返ってこないことも(笑)。
大きいプロジェクトの場合は、ロジカルに物事を考えるのが得意なメンバーとブレストして、私が感覚的に話した内容を言語化してもらい、それを再度自分の中で柔らかい言葉に置き換える、という工程を経ています。
また、デザインの力が必要不可欠だと思っているので、デザイナーさんには必ず入ってもらっています。「まちづくり」というとどうしても堅くなりがちな中で、デザイナーさんがつくるやわらかいアウトプットのおかげで、面白い人に集まってもらえる状況に恵まれてきたと思っています。
──イベント自体も、誰かが一方的に何かを伝えるというよりは、参加者の方が自発的に参加できる仕掛けをつくっていらっしゃいますよね。
井上さん:私はひとりひとりのパーソナルなエピソードに人一倍興味があるので、一方的ではなく、参加者の方をステージ上に上げたいということは無意識に思っているかもしれません。自分が仕切るより、みんなが勝手にやったほうが、絶対におもしろい場になるので。
偶然隣り合わせた人たちのおしゃべりから、何かが生まれる場
──2024年1月には、JR静岡駅の近くにお土産屋さんとカフェ、図書館が併設された「しずおかのひみつ」という実店舗をオープンされました。
井上さん:シズオカオーケストラを立ち上げた当初から、いつかお土産屋と観光案内所をやりたいという夢を思い描いていて。静岡の規模感では、いい意味でも悪い意味でもイベントの顔ぶれが同じになってくるんです。心強い反面、どこかで広がりのなさも感じていました。
今の私がまちについて対話したいと思う人は、通りすがりの人。例えばショッピングモールのフードコートにいるファミリーのような人たちに対し、まちを意識するシーンをつくりたい、という気持ちがむくむくと大きくなっていきました。
「やるなら今が一番若い! えいや!」と物件を探し始めたところ、いまの物件に出会えてお店をはじめることにしました。
──お店という場ができたことで、新たな発見はありましたか?
井上さん:カウンターに座って本を読む人、お茶やコーヒーを飲む人もいれば、買い物をしてさーっと出ていく人もいて。「ええい、混ぜちゃえ」と話しかけると、おでん横丁のようにみんなで話し始めることがあります。初めて会った人たちが共通の話題を見つけるシーンを見ると嬉しいですね。
また県外の人がやってきたときに「ようこそ来てくれました、静岡に」と直接伝えられる場所ができたことも、幸せだなと思っています。
──だれもが立ち寄れる場だからこそ、できることですね。
井上さん:近所に福祉会館があるので、ある時目の見えない青年がヘルパーさんと一緒に入ってお茶を飲んでくれたことがありました。その時、たまたま百貨店の方とおせんべい屋さんがカウンターにいて、みんなでおせんべいを食べながら会話が盛り上がって。百貨店にある水族館の話になったときに、青年が「水族館、触れるようになればいいのにな」って言ってくれて、みんなで「そうだよねえ」と言い合って。こうしたシーンがちょこちょこ見られるのは、幸せなことですね。
図書館には、いま54人の棚主さんがいるんですが、交流会ではお互いの好きな本を紹介しあって、世代を超えて自然と混ざりあっていく。まちにはそういう小さな世界がいっぱいあるということを、お互いに知れるきっかけになれば嬉しいです。
こうしたさまざまなシーンは、イベントをやっているだけでは出会えなかったかもしれません。
──お仕事を通じた出会いや発見が、ご自身の暮らしやご家族との関係に、どのように影響していますか?
井上さん:お店をオープンして定休日が生まれて、小さなON/OFFができたことはよかったですね。6歳になる子どもにとっても、親以外の人と自然とつながれることは、彼自身のセーフティーネットになるのではという気がしています。まちにはいろんな人がいるんだよ、というのを理屈でなく体感できる。親だけでは見せてあげられない世界に、自然と参加してもらえる状況ができたのは大きいですね。
──若い頃に感じていた地方の窮屈さや都市への憧れ。いま振り返ってみて、当時の葛藤をどのように捉えていらっしゃいますか?
井上さん:静岡は、まちの規模感故に東京のように孤独ではいられない面倒くささがあるんですが、40代になったいまは、そういうちょっと手のかかる営みが心地良いです。「生きていくって、そういうことなのかもな」と、自然に受け入れられる年齢になったのかもしれません。いまの自分にとっては、静岡という規模感が合っていると思っています。
──昔の自分にかけたい言葉はありますか?
井上さん:「……だよね。でも、いつかはそうじゃなく、悪くないと思えるかもしれないから、あと20年経ったらまた考えてみて」かな。
若い人たちの人口流出を危惧する声もありますが、無理強いするとしんどいですよね。帰ってきたときに「おかえり」と言ってあげられたらいいんじゃないかな、と思うんです。
いつもたくさんの人に囲まれている印象のある井上さんですが、「美味しいお酒と美味しいご飯を、一人でぼんやり食べるのが至福」だそう。取材時の気分は「ワインとさっぱりした魚介系のつまみ」でした。