第41回目のゲストは、もじゃハウスプロダクツ代表・干潟裕子(ひがた・ゆうこ)さんです。
人と植物という2つの生き物が、のびのびと暮らせる家を設計する「もじゃハウスプロダクツ」代表の干潟裕子さん。住む人のキャラクターを植物との関係性に反映させ、人と植物どちらにとっても心地よい空間をつくるという、ユニークな家づくりをおこなっている干潟さんのご活動を、前・後編に分けてご紹介します。前編では、緑に包まれた家を取材したリトルプレス『House “n” Landscape(ハウス・アンド・ランドスケープ)』制作にまつわるお話や、模型を事例に、実際に「もじゃハウス」をつくるまでの過程について、お話を伺いました。
※京都在住の干潟さんと、オンラインでインタビューを実施しました。
植物と人間、ふたつの生命体が共に暮らす家
もじゃハウス
――干潟さんは設計事務所「もじゃハウスプロダクツ」の代表をされています。まず「もじゃハウス」とは何かを伺えますか?
干潟さん:「もじゃハウス」は、「植物でもじゃもじゃになった家(建物)」のことです。私自身は植物を、人間の建物を覆う「建材」要素のひとつだとは考えておらず、人間と一緒に住まう「生命体」と捉えています。人間と植物という別の種類の生物が、終の棲家として根を張り、一緒に生きるためにはどんな建物にすればよいかということを考えて計画するんです。
最近、屋上緑化や壁面緑化といった「緑化建築」が街中でも見られますが、緑化建築といわれるものとの一番の違いはそこかなと思っています。
――緑化建築は、植物よりも人の営みが重視されてしまう部分があるということでしょうか?
干潟さん:都市部において植物は生き物として重視されず、建物だけではもの足りないから添えられる「カレーの福神漬」のような存在になりがちです。CO2削減や省エネといった環境問題に対する取り組みのアピールや、植物を植えれば夏涼しくて冬は温かいといった断熱性などの機能面で選ばれている側面があります。もちろん癒やしとして都市の中に緑の空間は必要ですが、人間と共存する生き物として文明社会に迎え入れているという感じではないな、と思っています。
――なるほど。都市の植物は、あくまで人間の課題を解決するための手段としての側面が強くなるのですね。ちなみに「もじゃハウス」という屋号はどこからきたんですか?
干潟さん:独立前に勤めていた設計事務所で“植物と共生する建物”を手がけてみたいと周りに話したことがあって、その時に描いた絵を見た人が「もじゃハウスだね」といったんです。いつの間にかみんなに「もじゃハウスの人」と呼ばれるようになって。独立にあたって屋号を考えていた時、「もじゃハウスがいいよ」と周りの人たちに強くおすすめされたんです。
――屋号をつける前に、すでに「干潟さんといえば、もじゃハウス」が定着していたんですね。
植物という生命体が、どうやって次の命を残していけるか
――干潟さんは、『House “n” Landscape(ハウス・アンド・ランドスケープ)』という、植物に包まれた家を取材したリトルプレスもつくっていますよね。この冊子を発行した経緯は?
干潟さん:今から8年前、「もじゃハウスプロダクツ」として独立した時点で、自分の手がけた建物がありませんでした。ただ、植物が茂る素敵な建物は世の中に存在しているので、そういう建物を取材してインタビューにまとめて、楽しく伝えられたらいいなと思ったんです。
創刊号にインタビューを掲載しているランタナ(クマツヅラ科の常緑小低木)に包まれた家は、独立前に勤めていた会社の通勤途中にあったお宅でした。気になったので、毎日徒歩通勤の行き帰りに観察を続けていました。水やりの時間や剪定のタイミングといった日々の営みの変化を追い続けると、住人と植物との関係もだんだんと見えてくるんです。
――プロファイリングしていって。
干潟さん:どんな管理を何年くらい続ければこういうお家ができるのか? と、もじゃハウスをつくる際のヒントにもなりそうで観察を続けていましたが、そのうち、住人の植物愛を溢れんばかりに感じるようになり、どうしても話を聞きたくなりました。どうせなら数年がかりで記録してきた写真と一緒に、本にしたらいいんじゃないかと思って。
――このおうちが創刊の大きなきっかけだったんですね。住人はどんな方だったんですか?
干潟さん:80代くらいのご夫婦のお二人住まいで、近所の花屋さんで買ったランタナの苗が、50〜60年かけてこの状態になったんだそうです。緑が家を覆っているので光があまり入らず、日中でも電気をつけて暮らしているとのことでしたが「植物」と「自分の暮らし」どちらを選ぶかとなった時、このご夫婦は植物を切ることを選ばなかったという、そこにも感動しました。
インタビューから3〜4年経った頃、ある日突然立入禁止テープが張られ、植物が完全に切られて建物だけの状態になっていました。その後、駐車場になってしまって。
――植物もおうちもなくなってしまったんですね。
干潟さん:ただ、ある時ツイッターにインタビュー記事をアップしたところ、近隣に住んでいたという方からメッセージを頂いたんです。「すごく気になっていた家だったので植物が切られた時ショックでしたが、住人の方がお住まいだった時からのプロセスを記録にとどめた方がいると知れただけでも、心が穏やかになりました」というご感想をくださって。やってきた意味があったと、すごく嬉しかったですね。
――個人宅だと公の記録にも残りづらいでしょうから、貴重な記録になりましたね。
干潟さん:インタビューが自分の仕事を広げるための情報発信という域を超えたような気がしました。樹木医の仕事をしているときにも感じることですが、植物、特に樹木に対して、「人はこんなに思い入れを持つのか」と思わされることが多いんです。
さまざまな事情で木を切ることになった際も、「もう切ります」と言っただけでは説得できないくらいの強い思い入れを、人それぞれがその木に対して持っていて。八百万の神を持つ自然信仰の日本人だからか、人間というものの本質かはわからないんですが、ちょっと感動することがあります。
命としての存在を追い続け、終わりを迎えた日を見届ける。それを本にして伝えられたことで、自分自身の情熱はこういうところから湧き出てきたんだな、とあらためて思いました。
――インタビューされる側も信頼して話しているのが、文面から伝わってきます。
干潟さん:お話を聞かせていただく方も、私と同じように植物を生き物として同等に見ていると思っています。だから、建物を覆う建材としての植物ではなく、一緒にいる生き物との日々の暮らしを聞いているという感覚です。お庭に何種類か木があるお宅だと「この子は何年前くらいに植えて、この子は今何歳くらいで」と、誕生日を覚えるように自宅にやってきた日を覚えておられて。植物は人と一緒に生きている存在だな、と思います。
生き物としての植物の命が、この場所でどう生き永らえることができるのか。最後の日を迎えたとしても、次の世代につながる命をどう芽生えさせることができるか。「もじゃハウス」は、そういうことを考えながら計画しています。
住人によって違う植物との関係性。もじゃハウスができるまで
――もじゃハウスの実例はまだこれからという現在ですが、本物のもじゃハウスをつくるのと同じようにヒアリング・計画し、模型化することで、実際に計画する際のシミュレーションをされていますよね。今回は、制作していただいた筆者・村田の理想の家を例に、実際にもじゃハウスをどのように計画していくのか教えていただけますか。
干潟さん:まずは、必要な部屋など、建物としての機能面については必ず聞きます。そして一緒に暮らしたい植物についても、希望を聞いて。お施主さまの漠然としたイメージを具体化するのが設計士の仕事なので、ヒアリングのときにはつっこんだりはせず、楽しく夢を語ってもらいます。
――本当に、楽しく妄想させていただきました(笑)。「島津家のような庭」「大隈重信のような温室」「南国チックなガジュマルの大木」など、妄想全開で無理難題を押し付けてしまったにも関わらず、希望を汲んでいただきました。
干潟さん:お施主さまの植物との関係性を図るには、性格などの内面的な部分も重要なので、ヒアリングでは雑談も交えていきます。明るい家がいいのか? それとも、暗くこもるために植物に陰を落としてもらう家が良いのか? そういったことも確認していきます。
植物は世間と自分との盾になってくれます。だから、世間との距離感が必要な人は、その間に植物が入ることで精神的に守ってもらえるようなデザインを考えたりもします。
――実際に植物を選ぶ時に重視している点は?
干潟さん:好きな植物の種類が明確な場合は、それに合う土壌基盤が取れるかどうかが重要になってきます。屋根、壁、庭のどこに植えるかで、根の深さや樹木の重さから、鉄骨かコンクリート構造か木造かを選んで、必要な土の厚みや梁の位置を考えます。
たとえば屋上に木を植える場合は、乾燥に強くて根が深くない木を選び、根の広がりから台風に耐えられる植栽マスの大きさを割り出しています。
――模型は、だいたい何年後の状態を想定しているんでしょうか?
干潟さん:模型は10年後の想定でつくっていますが、計画や図面自体は30年後を見越してつくっているので、植物の本数は少なく、間隔を広く取っています。竣工直後の見栄えのためだけを考えた密な植え方は避けたいと思っています。数年で成果を求める人間の時間軸ではなく、数十年の時間をかけて育っていく植物時間で完成を見守ってもらえるように、お施主さまを説得できればと。
――人だけでなく、植物の時間も大切にされているんですね。また住む人の趣向やキャラクターを丁寧にヒアリングし、植物との関係性に反映させるという進め方が、とても新鮮でした。住みながら植物も育っていく家だと、日々の変化も楽しめて退屈しなそうです。台湾にこんなもじゃハウスを建てたい……。
後編では、干潟さんがもじゃハウスを追究するに至った原体験を伺います。