ひとの手で、丁寧に、ひとつずつつくられていくものたち。工場で大量に製造されたモノにはない独特のオーラやぬくもりが、私たちの暮らしに彩りや安らぎを与えてくれます。
エントリエでは、こだわりをもった手仕事作家さんに注目。ものづくりや作品への想いをお聴きします。
立体&ジュエリー作家 / 松隈無憂樹(まつくまむうじゅ)
かたちを流動させて
小さな頃から何かをつくることに勤しみ続けていますが、
そのスタイルを固着させず、常に自分の行為にリアクションを続けるように
作品をつくっています。
シリーズのようにある一定の期間スタイルを定めてはみるものの、
それが全てではなくあくまで通過しているという感覚を持っています。
小さな頃は模写やイラストを好み、
高校生の時はシュルレアリスムに没頭し、
大学生では具象と抽象の合間を漂い、
現在は興味の赴くままに作品をつくり続けています。
そのかたちは絵画だけではなく立体作品やジュエリー作品に派生していきました。
芸術は停止していない
「そこにある」というのは、
一見フリーズしているかのようにも見えます。
ですがそれは鑑賞者との関係が生まれることにより
一気に目まぐるしく動きはじめるのです。
その日によって観え方が違ったり、時間によっても違ったり、
価値が変化していくのも芸術の生きている証です。
それ以上に「つくり手」というものも変化しているのです。
これは成長や老いと同じようなものです。
私は私の変化に忠実です。
その時に食べたいものを食べるように、
その時につくりたいものをつくります。
「作品」というものは、過程を経て「完成」しますが、
私の中では作品はいつまでも未完のままです。
その感覚は呼吸と同じレベルで生きていくことに必要なのです。
観る人によって
違うということが当たり前
「何かに見えるけどまた別のものにも見える」という定まらなさを好んでいます。
それは多分
自分自身が目指している己のかたちなのだと思います。
ひとつの物事を表すのにいくつも言葉があるように、
私は多方面から物事を観ることを好みます。
停止することほど退屈を感じることはありません。
その点、音楽や映画など表現という言葉の家族たちには
いつも魅了されます。
同じ音楽を聴いても同じ感情にはなりませんし、
同じ映画を観ても新たな発見をします。
そんなことが
作品と鑑賞者の間で起こることを望んでいるのかもしれません。
私がこの「愛しいものたち」に何かを表明するとすれば
「かたちあるものはいずれ壊れる」という一見相反する言葉かもしれません。
しかし壊れた先にはまた新しい気持ちが生まれます。
言葉の響きはネガティブかもしれませんが、
捉え方によっていかようにもなるのです。
表現は積み重ね壊し、また積み重ねることの繰り返しです。
そこに、
その過程や通過する景色にも心は惹かれてゆくのです。
それは生き物として当然でしょう?
●立体&ジュエリー作家/ 松隈無憂樹(まつくまむうじゅ)
【Twitter】https://twitter.com/matsukumamuuju