タイラミホコ
ゲスト
タイラミホコ / Taira Mihoko
陶芸制作家
東京生まれ。沖縄県那覇市・玉城村(現南城市玉城)にて作陶を学ぶ。 第5回沖縄デザインコンペにて灯器。「夢の人たち」で奨励賞に入賞。帰郷「Clay work TIIDA」設立。以後各地で個展・グループ展・企画展などに参加。東急Bunkamura「arts&crafts」にて常設展示販売も経てBunkamuraギャラリーでの展示などにも参加。 2005年にはgallery+cafe「ROCKETIIDA」を相方の立花ミントンと下町にオープン。その後現在の高田馬場に移転。2014年より表参道ギャラリー219にて個展開催。個展は常に新しい作品を追求し、新しい技術などに挑戦しています。 吉本ばななさん著「ごはんのことばかり〜100話とちょっと」表紙・中にうつわ掲載。他多数のご著書にお話として登場。お気に入りのうつわで食べることが更に一人一人のシアワセになればいいな、との想いで制作しています。
細野 由季恵
取材・撮影・編集した人
細野 由季恵 / Hosono Yukie
WEB編集者、ディレクター
札幌出身、東京在住。フリーランスのWEBエディター/ディレクター。エントリエでは 副編集長としてWEBマガジンをお手伝い中。好きなものは鴨せいろ。「おいどん」という猫を飼っている。
村田 あやこ
記事を書いた人
村田 あやこ / Murata Ayako
ライター
お散歩や路上園芸などのテーマを中心に、インタビュー記事やコラムを執筆。著書に『た のしい路上園芸観察』(グラフィック社)、『はみだす緑 黄昏の路上園芸』(雷鳥社)。「散歩の達人」等で連載中。お散歩ユニットSABOTENSとしても活動。

どんな人でも「食べること」は生きるうえで避けては通れない時間。思わずニヤッとしてしまったり、持っているだけで温かな気持ちになれる器があったら、食べる時間はちょっと特別なものになります。
今回お話を伺ったのは、陶芸家のタイラ ミホコさん。沖縄で修行を積んだ後に陶芸家として独立し、日々さまざまな器を生み出す傍ら、パートナー・立花ミントンさんとともに、ギャラリー+cafe「ロケッティーダ(豊島区高田3丁目9−8)」を営んでいます。陶芸家を志したきっかけから沖縄での日々、そしてタイラさんにとっての「表現すること」について、お話を伺いました。

ピカソの作品に衝撃を受け、陶芸の道へ

──タイラさんが陶芸の道に進もうと思ったきっかけは、なんだったんでしょうか?

タイラさん:もともと食べることや食器が好きだったので、陶芸をやってみたいと思い、陶芸教室に通っていたんです。ある時、ピカソの陶芸に出会って。器の表面に絵付けがしてあって、ピカソの内面から出てきたものが表現されたすごく自由な作風で、自分の思っていた陶芸の概念がガーンとぶち壊されるような衝撃を受けました。

最初は陶芸に対して、重々しいイメージを持っていました。でもピカソの作品を見て、自由でいいんだ、私のやりたい世界に通じる、と思えたのが、本格的に陶芸の道を志したきっかけです。

ちょうどその頃に、沖縄へ移住することになった友だちから地元の工房を紹介してもらい、私も東京から沖縄に移住して修行することにしました。

──沖縄で修行!大きな選択ですね。

タイラさん:陶芸の修行をしようと決めた時、相当ハードな世界かもしれないと勝手に想像していて。ただ好きな場所であれば、辛いことでも長続きするかもしれないと思ったんです。沖縄はもともと大好きだったので、決意できました。

当時の私は22歳で、周りは大学を卒業する頃。それまでふらふらしていたので、やるんだったら後戻りせず、絶対に納得できるまでは帰らないぞと覚悟を決めて、沖縄に渡りました。

▶︎(画像提供:タイラさん) 玉城の垣花樋川(かきのはなひーじゃー)拝所(うがんじょ)という場所。「本当に大好きな場所です。修行していていつも心を落ち着かせたい時によくひとりで訪れました」(タイラさん)

──沖縄では、どのような修行生活を送っていらっしゃったんですか?

タイラさん:沖縄ではトータルで6年ほど修行を積みました。最初は那覇市の壺屋にある陶芸工房で2年くらい勉強して。伝統工芸品である壺屋焼の赤絵を作る工房で、菊練りという土を練る工程からおちょこやぐい呑などの器を毎日何百個も作り続け、経験を重ねていったんです。他にも、師匠が作った器に絵付けや線彫りをしたりしました。

毎日とにかく肉体労働の連続で大変でしたが、何もなかった私を雇っていただき、基礎中の基礎を学ばせていただいて、本当に感謝していますね。

その後は、那覇市からさらに南下した玉城村という海辺の村に移って、玉城焼の工房で4年ほど修行しました。師匠も自由な雰囲気で作陶していて、「仕事が終わったら自由に作っていいよ」と、私にも作品を作る機会を与えてくださいました。

──沖縄で、少しずつ今の作風ができてきたのでしょうか。

タイラさん:不思議なんですが、「こういう作風にしよう」とはあまり考えず、自分の好きな世界が自然と出てきましたね。多分もともとやりたかった世界観は変わらず、技術が身についたことで、自分の中にあるものが出てきた感じがします。

食べる時間がちょっと楽しくなるような器

▶︎(画像提供:タイラさん)最新作のプレート

──タイラさんの作る器は、いわゆる丸や四角だけではなく有機的な形も多く、見ていて楽しいですね。作品のイメージは、どのようにして浮かんでこられるんでしょうか。

タイラさん:作品の形は、よく考えて精査するというよりは直感的。その時にぱっと思い浮かんだことに突き動かされて、形や模様、その時々のテーマが降りてきます。一番影響を受けるのは、音楽。ダイレクトに来る音の洪水が、一番のインスピレーションです。

制作の最中もずっと音楽をかけて、体中を音楽でいっぱいにしています。その時に影響を受けたミュージシャンに、丸ごと捧げる個展をやってしまうこともあるくらいです(笑)。

▶︎(画像提供:タイラさん)最新作の豆皿

──タイラさんの器には、妖精のような子が潜んでいますよね。この子たちは?

タイラさん:「タビニデルくん」といいます。私自身、旅に出たいんだけど、なかなか機会がなくて。私の代わりにこの子たちに、虹をわたったり、船で海をわたったり、水玉の世界に行ったりと、作品の世界の中を旅してもらっています。

▶︎(画像提供:タイラさん)

──器の中からそっと、こちらを見てくれている感じがしますね。

タイラさん:食べ終わった時に器をパッと見たらこの子が中にいると、楽しいかなあと思って。お子さんがいらっしゃる方によく使っていただくんですが、ご飯を食べるのを嫌がっていたお子さんが、食べ終わってこの子が出てきたのを見て笑いながら喜んでいた、という話を聞くと、すごく嬉しいですね。

──もともと食べることが好きだったのが、陶芸に興味を持ったきっかけとおっしゃっていました。作品でも、「食べること」を大事にされているんですね。

タイラさん:人は、食べ物を食べなければ死んでしまいますよね。1日数回の食事の中で、ちょっとでも「楽しい」とか「面白い」と思える瞬間があれば、食べること自体が楽しくなります。食べることは、自分の体を作っていくことや、生きていくことにも直結しています。食べる時間が楽しくなるような器を作りたいという思いは、ずっとありますね。

生きていくのって、みんなしんどいと思うんですよ。そんな中で、器を使っていただくことで、ちょっとフッと笑って一息つける時間を作れたら嬉しいなと思いますね。

▶︎(画像提供:タイラさん)個展「夜の窓」の際に制作した器(左画像)

沖縄の「家族」と過ごした宝物のような時間

──6年住んだ沖縄。今でも思い出深い場所でしょうか。

タイラさん:6年いたことで、旅人として触れるのではないリアルな沖縄にも触れられたのは、貴重な経験でした。沖縄は私にとって大きな場所でしたね。

玉城村に住んでいた時には、隣の家に住む稲福さんご家族にすごく仲良くしていただいたんです。当時、3人の子どもたちはまだ小学生で。お父さんやお母さんは、「みほちゃん、ご飯できたから早くおいで」と、私のことを長女のように扱ってくれて、子どもたちも屈託なく一緒にいてくれました。

家から海まで5分くらいの場所だったので、夏は仕事が終わったら毎日、子どもたちと海に行って泳いでいましたね。

▶︎(画像提供:タイラさん)お世話になったという、玉城焼きの親方であるおじいとおばあ、稲福家のみなさん。そして、旅に訪れていたタイラさんのお母さまと叔母さまと。

見ず知らずの私に愛情を注いでくれたことへの感謝と、彼らと過ごした時間はかけがえのない宝物としてずっと心の中にあって、その光は決して鈍らないんです。それに助けられて、ここまでやってこれた。一体どうやったらお返しできるだろうと、いつも考えています。

浜から奥武島の様子を眺めたり、「今日は白波が立ってるな」と波の様子を見たり。雨がカーテンのように迫ってきて、通り過ぎる光景を体験したり。沖縄の満月の夜は驚くほど明るくて不思議な時間です。海に続く月の道の美しいこと……。自然や土地が持っているエネルギーが人の暮らしと地続きで「みんなが生きている」という感じがしました。

沖縄で過ごした素晴らしい日々は、忘れられないですね。

当時お世話になったご家族とは、未だに連絡を取っています。子どもたちはあんなに小さかったのに、今はすっかり大人になってみんなそれぞれ家庭を持っていて。今でも沖縄に行くと、「ミホコねえちゃん、おかえり」って言ってくれます。

▶︎(画像提供:タイラさん)「当時、沖縄の大好きな家族、稲福さんご家族と比地大滝にキャンプに行った時の写真です」(タイラさん)

──「おかえり」と言ってくれる人がいる場所があるって、いいですね。

タイラさん:今年の4月に20年ぶりに沖縄で個展をやったんですが、20年前に買った器をずっと大切に使ってくださっている方がいて、「いつ来てくれるか待っていたんです」と言われたりもしました。ありがたかったですね。

▶︎(画像提供:タイラさん)今でもずっと交流のある、ご家族のみなさんと

表現は、超えていくロマンをもたらすもの

──タイラさんにとって、「表現」とはどのようなものでしょうか。

タイラさん:私は表現というものに「超えていくロマン」を感じていて、それが表現のテーマにもなっています。創作したものは、自分の手を離れてそれぞれの場所にたどり着くものだと思っていて。計り知れないところまでいって、新しい物語を紡いでいく。作品を通して、人それぞれのロマンが生まれていくのは、すごいことだと思います。

また作品は、時空を超えていく存在だとも思っています。例えば時折、何千年も前の器が出土することがありますよね。そうやって、自分がこの世を去った後、作品がいつか何かの形で出土して、「なんだ、これは!?」って思われたら面白いですよね。

下手したら何千年も超えてしまうかもしれない。そこにもロマンを感じます。

──日々の暮らしに息づく器だからこそ、思いがけない物語が紡がれていきそうですね。

タイラさん:作家の吉本 ばななさんが、私の作った器をずっと使ってくださっています。独立した当初、自分の作風に悩んでいた時期に、ばななさんとお話したのですが、「あなたの器は記憶に残る器。子どもの記憶にも残るっていうことは、すごく大きいこと。もしかしたらあなたは、大きな美術館で展示するような作家さんにはならないかもしれないけれど、今必要なのは、あなたみたいな作家さんなのよ」と言ってくださったんです。ばななさんは、創作の師でもあり、なおかつ生きる道への大切なものをいつも頂いている恩人です。

それを聞いて、いろいろな人の記憶に残るかもしれないと思った時にも、ロマンを感じましたね。
私の手を離れた器が、誰かの生活と密接に関わる。そうすることで、私の想像を超えた場で物語が生まれ、人の記憶に刻まれていくというのは、なんというロマンでしょうって。それが、私の「表現」のたどり着く場所かな、と思っています。

▶︎タイラさんのおはなし「ものを創る人」が収録された吉本 ばななさんの『すべての始まり(幻冬舎, 2017)』とロケッティーダが登場する『724の世界(バリューブック, 2023)』

──最後に、これからやりたいこととして、思い描いていることはありますか?

タイラさん:大きな夢としては、いつかまた沖縄に拠点を構えたいですね。また、沖縄には工芸やクラフトなどでセンスのいい作家さんがたくさんいらっしゃいます。沖縄の作家さんたちを東京に呼んで展示していただいたり、東京の作家さんに沖縄で展示していただくといった橋渡しもできたら、最高だなと思っています。

▶︎(画像提供:タイラさん) 夏になると子どもたちと毎日泳いだという、沖縄の海
▶︎(画像提供:タイラさん)

ライブに行って、ミュージシャンのパフォーマンスを浴びるように味わうのが至福のひと時というタイラさん。音楽を聴いて内側から沸き立つものが、創作だけでなく、生きていくエネルギーの元にもなっているそう。今はまっているのは、「Tempalay」と教えて下さいました。

▶︎(画像提供:タイラさん)

そして、もうひとつ欠かせないのが「吉本新喜劇」。座長であるお笑い芸人のアキさん演じる「アキ助」が大好きとのこと。「制作の合間に本当に心和ませて頂いてます」と、タイラさん。