江村 康子
ゲスト
江村 康子 / Emura Yasuko
グラフィックデザイナー
長野県在住、地方のなんでもデザイナー。イラストも描くし、写真も撮るし、手書き地図 も書くし、チラシも作ります。家に猫がいます。「教えて!ドクター」と「手書き地図推進委員会」をよろしくお願いします。
村田 あやこ
記事を書いた人
村田 あやこ / Murata Ayako
ライター
お散歩や路上園芸などのテーマを中心に、インタビュー記事やコラムを執筆。著書に『た のしい路上園芸観察』(グラフィック社)、『はみだす緑 黄昏の路上園芸』(雷鳥社)。「散歩の達人」等で連載中。お散歩ユニットSABOTENSとしても活動。
細野 由季恵
撮影・編集した人
細野 由季恵 / Hosono Yukie
WEB編集者、ディレクター
札幌出身、東京在住。フリーランスのWEBエディター/ディレクター。エントリエでは 副編集長としてWEBマガジンをお手伝い中。好きなものは鴨せいろ。「おいどん」という猫を飼っている。

第61回目のゲストは、長野県佐久市在住のデザイナー・江村 康子(えむら・やすこ)さん。地域固有の手書き地図を紹介する取り組み「手書き地図推進委員会」や、佐久市・佐久医師会が中心となり子どもの病気とホームケア、病院受診について発信するプロジェクト「教えて!ドクター」のイラストレーション、環境・防災分野でのグラフィックレコーディングなど、幅広い分野で、さまざまな情報を分かりやすくイラストに落とし込んで伝えるお仕事を手がけられています。江村さんに、現在のお仕事や佐久での暮らしについてお話を伺いました。

近すぎず、遠すぎない、佐久での人間関係。
選択肢をそっと横に置いておく

──現在はフリーランスのデザイナーとして活躍される江村さんですが、独立された経緯を教えてください。

江村さん:もともとは印刷会社のデザイン室に10年以上勤めていました。安定職を辞めるような性格ではないんですが、子どもが生まれてからは「病気なので帰らせてください」「その日は行けません」など、とにかく謝ることが多かったんです。普通に子どもを育てているだけなのに、なんで謝ってばかりいるんだろう、といやになってしまいました。

わたし自身が子どもの頃、親に「お前のためにこうやって働いたり休んだりしている」というようなことを言われたのがいやで。子どもにはそういうことを言いたくないと思っていましたが、気がついたら同じような愚痴がこぼれていました。これはもうよくないなと思って、会社を退職したんです。

──そうだったんですね。ご結婚を機にスタートした佐久での暮らし。20年経った今、いかがですか?

江村さん:最初は何も知らない土地に引っ越してきて、知り合いもいないし、おもしろいこともわかりませんでした。時間はかかりましたが、一人ひとり知り合いをつくってまちに馴染んでいくうちに、“自分で耕した畑”という感じになっているのがいいなと思っています。好きなものを植えて、大規模農家になりたいか多品種にしたいかも自分で考えて決められるし、愛着が湧いてきましたね。

──佐久のどういうところが魅力ですか?

江村さん:人との関係が近すぎず、ある程度無関心だけど、関心があるっていう距離感を築けているので心地いいです。例えば濃い繋がりを求めて来る人がいれば、その人を受け入れる余裕もあって。

『魔女の宅急便』(スタジオジブリ, 1989)のエンディングのように、歩いてて手を振ったら振り返してくれるくらいの関係性になりつつあるのが嬉しいし、楽しいです。あとは自然が多く、ちょっと広いところに行けば子どもを遊ばせられるし、子育てをするには環境がいいですね。

──たしかに、江村さんと一緒にまちを歩いてたら手を振ってくれる人も多そうです。デザインのお仕事ですが、子育ての経験や人とつながる力を生かして佐久市の「教えて!ドクター」プロジェクト​​でもイラストを担当されていますね。

江村さん:佐久医療センターの小児科医・坂本 昌彦先生が中心となり、専門家の方たち・アプリ・広報のチームで活動しています。子どもの病気に関する情報を冊子にまとめて未就学児の家庭に配布するところから始まり、今も数年に一度更新して市が母子手帳と一緒に渡しています。無料で使えるアプリもあって、佐久では子どもの体調不良で電話をしたときに「教えて!ドクターの○○を見ましたか」と案内されるなど、共通言語になっています。

『マンガでわかる! 子どもの病気・おうちケア』佐久医師会教えて!ドクタープロジェクトチーム・著 / 江村康子・漫画 (出版社KADOKAWA)。「活動を続けていると知識は溜まっていきますが、「当たり前だから知ってるでしょ」という態度だと、人には何も伝わりません。あくまで自分は医療の素人だということは忘れないようにしています」(江村さん)

──イラストのタッチもやわらかくて、不安を抱えているときでもホッとしそうです。実際に子どもをケアする立場の人に寄り添うための想像力は、どのようにして身につけてこられたんでしょうか?

江村さん:自分が子どもを生んだばかりの頃に体験した怒りや悲しみのリベンジかもしれません。親に「あなたは結局インターネットに頼っているのね」と嫌味を言われ、正しくない情報を渡されたことがありました。また育休後に職場に復帰したら、子どもが体調を崩して帰らなければならなかったときに、周囲に「家庭が不安定だから子どもが風邪を引くんじゃないの?」と言われたこともありもしました。その頃は結婚して佐久へ引っ越してきたばかりだったので、相談できる人は誰もいなかったんです。

そういったときに、例えば「何日くらいで熱が下がる」といった情報があれば、不安にならないし、職場にも伝えられます。そうした自分自身の実体験を思い出しながら描いていることが結構多いですね。

──根拠がある情報は、困ったときの助けになるでしょうね。

江村さん:友だちと話していても、考えが違う人はいます。ですが、友だちを否定したくないという気持ちもありました。たとえば、本当は医療にかかったほうがいい段階なのに、「おばあちゃんの知恵袋」的な風邪の対処法や、もっと過激な方法に頼ってしまう人もいます。そんな時に、正しい情報をぶつけてその人を否定するのではなく、他に取れる方法も試してみたらと、選択肢を横に置いておくようにしたいと思っています。

「何もない」地域なんてない。
どんなことも“おもしろさ”に変換する力

──江村さんも関わっていらっしゃる「手書き地図推進委員会」の本『手書き地図のつくり方』(学芸出版社)を拝読しました。埼玉や長野、宮城、北海道など、さまざまな地域の人たちと一緒に地図をつくり上げていく楽しさや苦労話のエピソードが満載で、とても楽しかったです。江村さんがこの活動に関わり始めたきっかけは?

江村さん:立ち上げの頃、共通の知人を介してメンバーとお会いしたんです。彼らが佐久に来ることになったときに、わたしは佐久の地図を描いて持っていきました。

そこから、手書き地図の収集や各地でのワークショップ、学校での外部講師など自治体と一緒につくる活動に参加しています。ワークショップで模造紙の上に集まった情報を印刷物にする段階で、清書したり情報を調べたりするデザインの作業が、一番大きな関わり方ですね。

当時江村さんが描かれた地図を見せていただきました。(デザイン:江村 康子)

──活動をするなかで印象的だったことはありますか?

江村さん:はじめに行った長野県立科町のワークショップですね。立科には湖のような大きな沼があるんですが、「子どもの頃に何人かで、冬に凍った沼にサイコロを持っていって投げて出た目の数だけ歩いて、落ちたら負けっていう遊びをしていた」とか。いま子どもがやったら危なくて絶対ブチ切れるわ、と思いますが(笑)、現地に行って聞ける“地図には載せられない話”はおもしろいですね。

──地元の人とすこしずつ江村さんらしいつながりをつくっていく感じが、佐久の暮らしを“畑を耕すように”築き上げたプロセスのようです。

江村さん:ワークショップでは、最初は「うちの地域にはなにもない」とマイナスから入る人が結構多いんです。だから、自分の中で何でも楽しめるように変換してアウトプットして、「結局何もなかった」で終わらないように気をつけています。また、地図に掲載されたスポットの持ち主が見ても傷つかないような書き方でのアウトプットも心がけています。

──ファシリテーションの力が、個性豊かな地図につながっているんですね。活動を通して、楽しいと思う点はどんなところですか?

江村さん:委員会メンバーのものごとを楽しむ変換力は、いつか自分が身につけたいと思いますね。子育てで舌打ちしたくなるようなことでも、その変換力を鍛えれば楽しめると思ったりもします。

もうひとつは他の人と一緒に地図を見ながら共通の話題ができることですね。高齢者の方の視点があると、平面的な地図に時間という縦軸が加わります。以前小学校で授業をやったとき、今は切り株しかないところに、お父さんが子どもの頃は木があったという話を聞いてきた子がいました。親子の会話にもなるし、いいなと思いました。

──昔の様子を想像することで、今ある風景を違った角度から味わえそうですね。教科書的な地図ではなく、「学校に行く道に変な形の木が生えてる」みたいなことを大切にしていいと言われると、勇気づけられそうです。

描くことは、出し汁!
雑味を取って美味しい出汁にしたい

地域複業フェスで作成したグラレコ(グラフィックレコーディング)(デザイン:江村 康子)

──江村さんがデザインするもののなかには医療以外にも環境や防災といった分野でのグラレコを手がけられたり、ご家族との日常を記した絵日記をTwitterに投稿されています。江村さんにとって、「描く」ということはどのような取り組みでしょうか?

江村さん:「わたしフィルターを通った出し汁」です。知識を蓄えて、絵の練習もして、美味しい出し汁にしたいですね。そうじゃないと、雑味のある出汁が出てしまう。わたしにとって「描く」ということは、多分そういうことだと思います。

──出し汁ですか?(笑)

江村さん:例えば手書き地図でラーメン店の紹介をするときに、外観の写真は必要だけど、わたしからすればラーメンの写真が必須です。人がイメージするものや、伝えたいことを邪魔する雑味を取るために、日々グラレコで勉強したり、絵日記で絵を描く練習をしています。

──料理じゃなく「出汁」という表現が江村さんらしく、おもしろいですね。

江村さん:昔は自分が目立ちたい時期もありました。スパイスを効かせて、相手の記憶に残りたい、という。でもそれだと人間関係がうまくいかないことが多く、スパイスしか相手の口に入らないと気づいたんです。

美味しい料理の中にピリッと効いた山椒ではなく、山椒をまるごと相手の口の中に投げ込むようなことだと気づいて、そういうのはもうやめようと思ったんです。

──地域のエピソードから医療、防災、環境といった緊急度の高い情報まで、江村さんの情報整理や編集の力、絵の力が結集した「出し汁」で、人々との接点を増やしていかれているお仕事だなと感じます。今の働き方をご自身の手でつくってきた楽しさや苦しさは、どういうところにあったしょうか?

江村さん:フリーランスになってからは、全部自分の責任で決められたのが良かったですね。最初はそんなに仕事がたくさんあるわけでもなかったし、些細なことで喜んだり落ち込んだりもしていました。ですが、「上手く描けない」「あの人よりも仕事が少ない」ということがあっても、一人ではなくみんなでやっていたら「失敗」と言われるようなことも、一人だと、トライアンドエラーのただのトライだったと自分で決められます。

成功するまで続けていけば、失敗がただのトライになる。それを自分で決められるのがすごくいいなと思っています。

──トライしなければ、失敗もないですもんね。

江村さん:そうですね。あとは、子どもが「具合が悪い」「学校に行きたくない」といったときに、「いいよ」と即答できることもいいですね。そうやって仕事と生活のバランスを自分で取れることが、独立した目的でもありました。

フリーになりたての頃は、業者として軽んじられたり下に見られたりして、辛い経験もしましたが、40代半ばになると意見も通りやすくなり、座ってあごをさわって「大丈夫ですよ」と言うだけでみんなが安心するのがいいですね(笑)。

──なにごとも決めつけず、物事をフラットにとらえて、求める人の横にそっと置いておくという制作の姿勢を伺っていると、江村さんのお人柄がそういった状況をつくっているのだなと感じました。今日はありがとうございました。

至福のひととき

(写真提供:江村康子)

家族が喜んでいることが一番楽しいという江村さん。お子さんと一緒に映画を見に行くこともあるそうです。