写真に映るだけで、そのまちだと一目でわかる強烈な印象を残す、ネオンサイン。アオイネオン株式会社は、SHIBUYA109(渋谷区)や不二家 数寄屋橋店(銀座)をはじめ、まちを象徴するような広告看板を各地で手掛けてきた会社です。今回のエイミーズトークは、同社事業企画部長の荻野 隆(おぎの・たかし)さんをゲストにお迎えしました。
バブル期には、多くの企業がネオンサインをまちに設置し、一時は数億円という媒体料にもなるほどでした。しかし、広告媒体の移り変わりや照明のLED化といった時代の流れに伴い、ネオン職人の数は減少し、ネオン文化は縮小の道をたどりつつあります。
荻野さんはそんな中で、アートとしてのネオンに活路を見出し、音楽ユニット「電気グルーヴ」をはじめ、さまざまなアーティストとのコラボレーションを実現しています。新たなネオン文化を生み出すべく奔走される日々についてうかがいました。
外からの目でネオンの魅力に気づいた
──もともとお父さまが、アオイネオンにお勤めだったと伺いました。
荻野さん:はい。父はずっとこの会社で営業を続け、最後は専務取締役で引退しました。僕が子どもの頃はまちなかに大きなネオンサインがあって、父と車で出かけると「あの国道沿いのキリンビールのネオンサインは俺らが手掛けたんだ」といったことをずっと刷り込まれ続けていました。子どもの頃から、ネオンサインに対する憧れを抱いていましたね。
──家族の仕事をまちなかで見られるのは、すごいことですね。
荻野さん:形になって残るのは、やりがいのひとつですね。
そして僕が入社した当時はバブル期で、まちのいたるところで屋上のネオンサインが乱立し、スポンサーたちがサインの場所を奪い合うように何億円もの媒体料を払っているような時代でした。
でも、今や未来が明るい産業とはいえないんです。インターネットの普及により、屋外広告そのものの数が減り、光源もネオンからLEDに置き換わっていったという背景があります。
──アオイネオンさんでは現在、ネオンをアートとして広める活動をされています。このような動きが始まったきっかけを教えてください。
荻野さん:きっかけは、20年ほど前に始まった社内のCSR(企業の社会的活動)活動です。建物のサインを設置する場合、大きさや色の制限があり、敷地内であっても本来は行政に許可が必要ですが、業界として無許可でサインを設置する会社が多いという状況がありました。
弊社の創業者は真っ当に商売をしたいと、中小企業の中ではいち早く、コンプライアンスや品質、環境対応といったCSRに取り組んできました。その責任者が、私だったんです。
荻野さん:CSR活動の情報を社外に対し積極的に発信するようになったのは今から10年ほど前ですが、社内にネオンの工房があって職人はいるものの、ネオンの仕事はほぼない状態でした。せっかくだからと、学校や企業向けにネオンをつくっているところを職人が見せる工房見学を実施したところ、見学した方々から「こんなすごい技術があったなんて知らなかった」と好評だったんです。中でずっと働いている僕らは、ネオンをつくる技術がそんなにすごいものだとは気づいていませんでした。見学した方に教えていただいたんです。
──第三者の目によって、ネオンが持つおもしろさに気づいたんですね。
荻野さん:そこで、ネオンをコンテンツとしてもっと発信していったら、会社のビジネスとしてプラスになるのでは、と考えました。
流行りに乗るのではなく、文化として定着させる
──電気グルーヴさんをはじめとするアーティストとのコラボレーションも印象的です。
荻野さん:復興支援のイベントや工場見学など、CSRと絡めてネオンを活用したイベントを続けていたところ、ミュージックビデオを制作している監督さんからお声がけいただきました。「SNSでネオンでアオイネオンを知り、一緒に仕事をするならいいことに取り組んでいる会社とご一緒したい」と。CSR活動に取り組んでいたおかげですね。
荻野さん:その後、京浜島(大田区)で音楽とアートの祭典である『鉄工島フェス(2019)』が開催される際、主催者が知人だったのでフェスにちなんだネオンを寄贈したところ、メインゲストの電気グルーヴ・石野卓球さん(以下、卓球さん)が喜んでくださって。調子に乗って、渋谷パルコで開催された卓球さんがDJとして出演する『DOMMUNE』というライブストリーミングイベントに、卓球さんのアイコンであるHexagon Eyeのネオンをつくって持っていったんです。
荻野さん:アオイネオンの本社がある静岡出身の卓球さんはとても気さくで、「子どもの頃、家の窓を開けるとアオイネオンが見えた。そこの会社の人が頼んでもいないのにネオンをつくってくれた。超ありがた迷惑」と、最初のMCで紹介してくださいました。
それ以降、電気グルーヴさんのネオンを3台ほど製作しました。それも、ひとつたりとも頼まれているわけではなく、勝手につくって持ち込んでいます(笑)。
──卓球さんも小さい頃からアオイネオンをご存知だったとは、ご縁を感じますね。他にもアオイネオンさんがプロデュースしている展示『大ネオン展』では、さまざまなミュージシャンやアーティストとのコラボが実現していますね。
荻野さん:2020年に松坂屋静岡店で開催したのが最初です。当初、会社には「100万円くらいはプラスになりますよ」と伝えたんですが、終わったら400万円くらい持ち出しに(笑)。「お前、言ってることと違うじゃないか」と役員会で優しく注意されたんですが、「ここでやめると400万円を捨てたことになるから、次もやらなければだめだ」と説得し、第2回目を東京タワー(港区)で開催しました。
──静岡から、一気に東京へと。
荻野さん:東京タワーで開催できたのは偶然で。電飾マニアであり、サイバーアーティストのサイバーおかんさんに連れられて、平成文化研究家の山下 メロさんが東京タワーで開催した展示を見に行きました。それがご縁で、ギャラリーを使わせていただけることになったんです。
結果的に1万人以上の来場を記録し、仕事にも結びついたので、なんとか首にならずにすみました(笑)。社外の方々の協力やご縁に助けられて、今があります。
──サイバーおかんさんとは、背中に背負える「セオイネオン」をつくられましたよね。
荻野さん:以前はネオンを点灯させながら持ち歩く技術がなかったんです。ネオンを広めていくためには、「いかに一般の方の生活の中にもネオンを溶け込ませるか」が重要だと考えていました。そのためには、コンセントがなくても使えるようにしなければなりません。そこで、超小型の変圧器や、充電したバッテリーで点灯できるネオンを開発したことで、セオイネオンが実現しました。
──SABOTENSも、アオイネオンさんとのコラボで、充電式バッテリーを使った鉢植え型のサボテンネオン(写真)をつくっていただきました。
荻野さん:サイバーおかんさんしかり、SABOTENSさんしかり、なにかに熱狂し、独自の視点でそれを発信しているようなマニアの方々に、最近は影響を受けています。マニアの方たちの視点は、僕ら「中の人」だと想像がつかないようなネオンの楽しみ方や魅力を新たに気付かせてくれます。視点を変えて物事を見るのが大切なんだなと、目から鱗の連続ですね。
独自の概念を生み出すのも、マニアの方たちの魅力。ネオンに関しても、そういった方たちからヒントをいただきながら、独自の概念をつくりあげて、それに共感してくれる人たちと一緒に、ネオンを楽しむ文化を作っていきたいですね。
今、昭和レトロや韓国ドラマの影響で、割とネオンがフィーチャーされていますが、あまり流行りに乗ると、いずれ廃れていってしまいますから。
──SNSでも、アオイネオンさんのお名前を見る機会が増えました。
荻野さん:実は電気グルーヴさんの事例のように、一方的に製作したもののほうがアオイネオンの名前が表に出ている気がします。発注者・受注者の関係は良し悪しで、どうしても対等になりづらい部分があるんです。勝手につくって寄贈すると、ある意味対等になれる。そうやってお金にならない活動も行いながら、アートとして付加価値を高めブランディングをすることで、お金になる部分の付加価値も高めることができると考えています。
今の日本に残っているネオン職人は、50人ほどです。あと20年もすると、日本でネオンの職人は、おそらく片手で数える程度しかいなくなるでしょう。今のままでは失われていく運命ですが、アートのアイコンとしてネオンをたくさんつくっておいて、未来に残していきたいですね。
自分にしかできない仕事を
──お話を伺っていると、荻野さんがフラットにさまざまな人からの視点を取り込むことで、ネオンの新たな道が広がっているのかなと感じます。
荻野さん:私自身は実は、「ネオンの魅力とはなにか」ということは特に胸に秘めてはおらず、逆に、人が気づくことにふんふんと耳を傾けています。むしろ好きになりすぎると目が曇る気がして。ちょっと俯瞰して、引いて見るほうが、色々なことがわかるのではないかと思っています。
──会社は新しい取り組みを応援してくれる社風ですか?
荻野さん:今は(笑)。業界そのものが保守的なんです。僕がやっていることを本当に理解して、協力してくれる人は1割もいなかったんじゃないでしょうか。
──「どこがいいの?」みたいな声が多いと、人によっては意欲が萎んでいく場合もあるのではないかと思うんです。いまの積極的なご活動は、どういうモチベーションから来ているのでしょうか?
荻野さん:もともと誰でもできる仕事ではなく、自分にしかできない仕事、誰も手を出そうとしないことに興味があるんです。むしろ理解できない人たちに、いかに理解してもらえるかということが課題。最初から理解されていたら自分がやる意味がないとも思っています。
ネオンに関しては、たまたまいい方向にいっているので、社内外に理解者も増えていると感じています。
入社してすぐには、やりたいことがなかなかできない日々が続きました。ひとつの会社で30年以上働いたからできることもあります。言われたことをちゃんとこなして成果を出して、チャンスが来るまで耐え忍ぶ時期もありました。
──会社員はさまざまな制度に守られていますし、ネオンのように長年継承されてきた技術や歴史など、アクセスできる情報や設備も個人とは桁違いですよね。押さえるところは押さえて、会社のリソースをうまく活用して好きなことができたら、ハッピーに働けそうです。
これからの仕事人人生で、こういうふうに働いていきたいという思いはありますか?
荻野さん:時代の移り変わりが早いので、古いままの認識を積極的にアップデートしないとチャンスを逃すと痛感しています。例えば今度、株式会社TENGAとのコラボレーションの話が持ち上がっているんですが、この話をすると少し戸惑った反応を見せる方もいます。セルフプレジャーグッズをつくる会社として有名なので。
荻野さん:ただTENGAさんは、いままで裏舞台にあったものを表に出せるようにしたり、アーティスト支援や障害者の就労支援施設を運営していたりと、素晴らしい会社です。
今回『ニホンノネオン研究会』というネオン愛好家のコミュニティとしてもイベントに参画させていただいています。2021年に発行された書籍『NEON NEON』(LITTLE MAN BOOKS)がTENGAさんとコラボするきっかけにもなっていて、アオイネオンとしてだけではなく本物のネオンを愛する人たちを巻き込む純粋で垣根のないムーブメントになって欲しいという想いがあります。
いまも現役でバレーボールを続けている荻野さん。チームメイトとひとつのボールを追いかけながら勝ち負けに一喜一憂しているときが、至福のひとときだそうです。
10月4日(水)~10月22日(日)「灯狂光愛 〜TOUKYOU NEON LOVE〜」
「ニホンノネオン研究会」と「TENGA」のコラボレーションによるネオン展が、有楽町で開催中!
この展示のために特別に制作した「TENGAネオン」も展示しています。ぜひご来場ください。
・会場:阪急メンズ東京6階TENGA STORE(東京都千代田区有楽町2-5−1)
・イベント名:「灯狂光愛 〜TOUKYOU NEON LOVE〜」
・日時:10月4日(水)~10月22日(日) 12:00〜20:00(土日祝11:00open)