芝崎 竜太
ゲスト
芝崎 竜太 / Shibazaki Ryuta
芝崎合金鋳造所・三代目
東京すみだの鋳物職人。1947年から続く町工場で真鍮製工業製品を卸売 する傍ら、自社ブランド『RBrass』を展開。小売向け商品の開発を進める中『すみだモダンフラッグシップ商品開発事業』でTOTO株式会社とマッチング。御守りのようなオブジェ『人鳥願具(ペンギンがんぐ)』を共同開発。すみだ水族館や百貨店催事、インターネットなどで販売中。東京すみだの砂型鋳造文化を、次の世代へ繋げることを目指しています。
村田 あやこ
記事を書いた人
村田 あやこ / Murata Ayako
ライター
お散歩や路上園芸などのテーマを中心に、インタビュー記事やコラムを執筆。著書に『た のしい路上園芸観察』(グラフィック社)、『はみだす緑 黄昏の路上園芸』(雷鳥社)。「散歩の達人」等で連載中。お散歩ユニットSABOTENSとしても活動。
細野 由季恵
撮影・編集した人
細野 由季恵 / Hosono Yukie
WEB編集者、ディレクター
札幌出身、東京在住。フリーランスのWEBエディター/ディレクター。エントリエでは 副編集長としてWEBマガジンをお手伝い中。好きなものは鴨せいろ。「おいどん」という猫を飼っている。

今回お話を伺ったのは、芝崎合金鋳造所・三代目の芝崎竜太さん。
芝崎合金鋳造所では、「砂型鋳造」(砂でつくった鋳型に、溶かした真鍮を流し込む​​という方法)で、鋳物を製造しています。実際に砂で鋳型をつくる工程を見せていただきながら、芝崎さんが三代目を継いでからのことや、現在取り組んでいることについて、お話を伺いました。

紀元前からある、鋳造の技術

──砂型鋳造では、砂を使って型をつくっていくんですね。

芝崎さん:諸説ありますが、遡ると紀元前数千年前からある、アナログな製法です。銅を溶かして型に流し込み様々な器具をつくったのが始まりと言われています。鋳型に使うのは、主に粘土質が残った山砂と聞きます。山からだんだん下って川の砂になると、粘土質が抜けてしまうため、川砂を使う場合は粘土質を加えているそうです。

木でつくった枠の中に型を入れて、周りに砂を入れて押し固めていくんです。砂の硬さは湿度によって変化するので、手の感覚で覚えていますね。その後、型を抜くと空洞ができるので、そこに溶けた真鍮を流し込む、というプロセスです。流し込んだ真鍮が固まったら、切断・加工・研磨といった工程を経て納品します。小売商品の場合は、研磨だけ外注する場合もあります。

──芝崎合金鋳造所さんでは、主にどのような製品をつくっているんでしょうか?

芝崎さん:今はトロフィーの取手がメインですね。また、鍵や窓飾りといった建築関係の金物、医療器具、船舶関係の部品などをつくっています。

工場には、代々伝わるさまざまな種類のトロフィー型が。

──納品先の業界は多岐に渡るんですね。

芝崎さん:昔は鋳物の需要が多かったので、うちも手広くやっていたようですが、いまは鋳物屋の数がだいぶ減ってしまいました。昔はこの墨田区エリアだけでも何十軒とあったようですが、いま残っているのは、数軒のみ。すみだの地域内で得意・不得意を補いながら、ニーズに合わせた製造を続けています。

──同じ地域内の他の工場と連携しながらつくっていくんですね。

芝崎さん:ただ、加工の依頼先も、いまではだいぶ数が減ってしまいました。加工屋さんがいなくなって廃盤になってしまった製品もありますね。

29歳でこの道へ。目で見て技術を身につけていった

──芝崎合金鋳造所は、もともと1947年におじいさまが立ち上げられたと伺いました。小さい頃から、おじいさまやお父さまが働く様子を近くで見ていらっしゃったんでしょうか。

芝崎さん:はい。身近ではあったんですが、実は「汚くて辛い仕事」というイメージがあり、若い頃はこの仕事を継ぐ気はまったくありませんでした。

──そこから芝崎さんご自身が芝崎合金鋳造所を継ぐと決めたきっかけを教えてください。

芝崎さん:前職では貿易関係の仕事をしていたんですが、夜が遅く出張も多かったりと、勤務時間が不規則だったんです。29歳で前職を辞めるタイミングで息子が生まれ、 この仕事に就きました。工場の場合、夜は仕事がないですし、日曜日も休みを取ることができます。家族と過ごす時間をもっとつくりたかったのと、体力を使う仕事を覚えるにはこのタイミングしかないと思ったのが、大きなきっかけですね。

──おじいさまやお父さまの反応はいかがでしたか?

芝崎さん:「やめたほうがいい」といわれましたね。当時は自分が入れば、なにか変えられると思っていましたが、実際にはじめたらそう甘くはなかったです。
売上の上下もありましたし、当初は給料がほとんどもらえず、アルバイトを掛け持ちしていた時期もありました。
家族と一緒に過ごす時間が増えたのは、唯一よかったことです。保育園の送り迎えもずっとやっていましたね。

芝崎合金鋳造所に勤めはじめた頃の芝崎さんと息子さん。

──前職とはまったく違う仕事内容だったと思うのですが、最初はどうやって仕事を覚えていったんですか?

芝崎さん:父も祖父も仕事を教えてくれるような人たちではなかったので、最初の10年間は、とにかく目で見て技術を覚えていきました。ひとりで工場を回すようになったのは父が体調を崩してからで、2年前に私が会社を受け継いで。転職してから、トータルで17年くらいになりましたね。

当初は、100%工業製品の卸売をしていたんですが、自社製品を開発して小売にシフトしていくしか生き残る道はないと思っていました。

職人であり、経営者である。未来に、技術を残していくために

芝崎さんが会社を継いだ頃、長年取引を続けていた真鍮鋳物やデッドストック品などの商品をプロデュースする吉田三郎商店(墨田区)が惜しまれつつ閉店。芝崎さんは吉田三郎商店のアイテムを引き継ぎ、2020年頃より自社製品とともにインターネットでの販売や百貨店の催事に参入し、本格的に小売に挑戦しはじめたといいます。

──新しい取り組みをはじめてみて、いかがでしたか?

芝崎さん:百貨店催事をはじめた頃は、とにかくいろんな地域に出向きました。場所によっては、交通費などの経費を全く回収できないこともあり、最初の1年半くらいは厳しい状況が続いていましたね。

また、コロナ禍で大会やコンクールが軒並み中止になったことで、もともと卸売のメインの商材であったトロフィーの取手の注文もなくなってしまったんです。先が見えない状況が続いていました。

──3代目としての第一歩と、パンデミックが、時期として重なったんですね。

芝崎さん:はい。最近は、おかげさまでようやく卸売の注文も戻ってきましたが。そして、周りの鋳物屋さんがどんどん辞めてしまった分、型がうちに回ってくることもあり忙しくさせてもらってはいます。

ただ業界全体で考えたとき、個人的には将来的に工業製品としての鋳造品は終わりに向かっているのではないかと感じています。需要が減る以上のスピードで供給側である職人の数が減っている印象です。下町の町工場としての鋳物屋の文化が、消えてしまうという危機感を持っているんです。

──そんななか、経営者として一般消費者向けに商品をつくるという選択は、大きな転機のひとつだったのではないかと思います。どのように準備を重ねてこられたんでしょうか?

芝崎さん:そうですね。もともと、自社商品を開発していましたが、自分ひとりで行うには限界を感じていました。それで、3〜4年ほど前から、デザイナーやアーティストにデザインを手伝っていただきながら商品開発を進めています。

墨田区がものづくりのまちとしての産業ブランド力を国内外にPRする目的で開始した「すみだモダン フラッグシップ商品開発」プロジェクトでは、TOTO株式会社とのマッチングが成立。すみだ水族館とのコラボレーション商品である真鍮オブジェ『人鳥願具(ぺんぎんがんぐ)』を製作した。

──TOTO株式会社とのコラボレーションで商品開発をしたり、ジュエリーデザイナーのRamikoさんと一緒にオリジナルグッズをつくったりされたと伺っています。

芝崎さん:「すみだモダンフラッグシップ商品開発」プロジェクトでは、すみだ水族館に実際に足を運んで、館長さんや飼育員さんの貴重なお話をもとに、真鍮オブジェ『人鳥願具(ぺんぎんがんぐ)』を制作しました。たとえば群から先陣を切って海に飛び込む様子を「勇気の象徴」とするなど、ペンギンの独特の姿に願い事を重ねたオブジェなんです。

その後、TOTOさんのご紹介でRamikoさんと知り合い、今年から一緒に干支の動物をモチーフにしたオブジェを制作しています。

──新たな形態でのものづくりに取り組んでみて、いかがですか?

芝崎さん:大変なこともありますが、現在のような移行期間は新しいことの連続で楽しいです。企業やデザイナーさんといった外部の方と協力いただきながら商品をつくっていくのは、学びが多くて。今後は、ブランドとしてたくさんの人に認知してもらえるようになりたいですね。なにかしら、ひとつやふたつ、ヒット商品を生み出したいと思っています。

また、うちは私ひとりで工場を回しているため、経営として成り立たせるためには、商品あたりの単価を上げていくしかありません。卸売だと相手がいるため、うちが単価を上げてしまうと製品を廃盤にするしかなくなる場合もあり、なかなか上げることはできないんです。小売の方が、単価は動かしやすい。食っていくために、どうやってバランスを取っていくのかは、試行錯誤の連続ですね。

──周囲の状況が変化する中で、これまで培ってこられた技術を次世代に伝えることの重要性について、どのように捉えていらっしゃいますか?

芝崎さん:効率だけを考えると、砂型鋳造の技術が今後もずっと必要とされるのかどうかは、正直わからないんです。たとえば、砂ではなく金型やロストワックスなどの工法で鋳造する技術もありますが、それでも同じものはつくれるわけだから。

一度安価な量産にシフトして、砂型ではなく別の方法で量産したり、製造拠点を他国に移して安くつくったりしてきたことで、需要は失われつつありました。ただ、いまになって、海外の人件費が上がって、日本に製造拠点が戻ってくるというケースも増えてきたんです。いざ戻ってきたときに職人がいないと、二度と同じものをつくれなくなってしまいます。

そうならないためにも、安売りせず、多様な技術をしっかり残していく意味があると思っています。

──一度途絶えてしまうと、そこから復活させるのはものすごく大変なことでしょうね。火が灯り続けているということが、すごく大事なんだろうなと思いました。

(写真提供 芝崎さん)

仕事が終わった後の晩酌が至福のひとときという、芝崎さん。ビールを手に焼き鳥を食べながら、愛犬さんちゃんと、ゆったりした時間を過ごしているそうです。

イベント出展予定のお知らせ

『日本の職人展』へ、出展予定

日時:2024年5月15日(水)〜20日(月)
場所:阪急百貨店 梅田店

詳細は決まり次第、芝崎合金鋳造所 Instagramにてお知らせいたします