

2025年にオンライン書店兼出版社「Nuts Book Stand」を始動した、平沢二拍(ひらさわ・にはく)さん。各地の小出版社や書店に直接会いに行き、仕入れを続けた書店員時代。そして、取材で各地へ赴いた『八画文化会館』編集長時代。原動力となってきたのは、旅するように本と出会い、本を介して人とつながる嬉しさでした。人生を動かした本との出会いや、自分の「好き」に立ち戻って仕事を生み出していく、新たな挑戦について伺いました。
小さい頃の夢は「椎名誠」

──平沢さんが本好きになった原体験を伺えますか?
平沢さん:母は、家でピアノ教室と英語教室を営みながら、女手一つで私を育ててくれました。家が母の職場だったので、私は自分の部屋で静かにしているか外に行くしかない。それで図書館でひたすら本を読むようになったのが、今思えば原体験です。
──当時はどんな本にハマっていたんですか?
平沢さん:小学校高学年の頃は、椎名誠さんの“怪しい探検隊”シリーズが大好きでしたね。周りの同級生たちが『りぼん』や『ジャンプ』を読んでいる中、ひとり椎名誠作品に没頭していました。
男同士で島に行ってキャンプをしたり、酒場でお酒を飲み交わしたり。仲間たちと書評誌『本の雑誌』を立ち上げ、ものをつくっていく雰囲気に惹かれたんです。
当時の夢は「椎名誠」(笑)。冒険するように自由に旅をして、旅であった出来事を文章にして生計を立てる。そのライフスタイルに憧れました。
──大学卒業後、最初のお仕事は書店員だったとか。
平沢さん:はい。大学時代は文学部で小説を書いたり、書評ブログで発信する傍ら、何か本に関わる仕事をしたいと思って、ジュンク堂書店でアルバイトをしていました。そのまま入社試験を受けて、卒業後も社員に。最初の3年くらいは資格書の棚を担当していたんですが、その後「ふるさとの棚」を兼任することに。
──ふるさとの棚!どんなコーナーだったんでしょうか。
平沢さん:かつて神保町に「書肆(しょし)アクセス*」という、地方出版社やリトルプレスの本ばかり扱う老舗書店があったんです。業界から愛されていたお店でしたが、2008年に惜しまれながら閉店しました。「この灯火を消してはいけない」とジュンク堂が思いを引き継いだのが、地方小出版物を扱う「ふるさとの棚」でした。
といっても、“美しい日本の風景”のような本を扱ったところで、かつての書肆アクセスの熱量にかなうわけがない。最初に手掛けたのは、廃墟のフェアでした。
当時、写真家・小林伸一郎さんが廃墟の写真集を出したり、廃墟愛好家・栗原亨さんが書籍『廃墟の歩き方』を出したりと、廃墟ブームが訪れていたんです。また個人的に廃墟や珍スポットが好きだったのもありました。
*書肆アクセスとは……一般的な大型書店や流通ルートでは入手しづらい貴重な本が集まる「地方・小出版流通センター」のアンテナショップ。多くの読書人や出版関係者に深く愛された

──最初からエッジの立った企画を手掛けたんですね。本はどのようにして仕入れたんでしょうか。
平沢さん:当時は日本各地で、「一箱古本市*」が次々と開催され始めた頃。各地のフェアを巡りながらローカルな出版社や書店さんに直接会いに行って本を買い取ったり、フェアを依頼したりしました。旅の道中では、地域の書店さんとお酒を酌み交わすことも。
そんな「仕入れ旅」を続けていたところ、なんとある時、『本の雑誌』の営業担当の杉江由次さんが「ふるさとの棚」を発見してくださったんです。それがご縁で、憧れだった『本の雑誌』に仕入れ旅のコラムを寄稿することになりました。
旅をしながら文章を書くという夢がかなった。しかも、椎名誠さんが創刊した『本の雑誌』で。書店員人生の中でも嬉しかった出来事ですね。
*一箱古本市とは……段ボール箱一箱分や小さな区画で参加者が古本を持ち寄り、1日だけの小さな本屋さんを開くフリーマーケット形式のイベント
価値観が大きく変わった、『愛知県漂流』との出会い
──ご自身に特に影響を与えた本はありますか?
平沢さん:『愛知県漂流*』(愛知県漂流編集部)という名古屋発のミニコミ誌です。
廃墟フェアを行った際、『ニッポンの廃墟』(編集・監修:酒井竜次)という本を取り寄せようと版元にコンタクトしたのがきっかけで、編集を手掛けた酒井竜次さんと知り合いました。「昔作った本が出てきたんだよね」と酒井さんに見せていただいたのが、『愛知県漂流』だったんです。
押し入れに眠っていた、『愛知県漂流』最終号300部を「ふるさとの棚」で販売したところ、なんとすべて完売しました。
*「愛知県漂流」とは……愛知を中心に、心霊スポットや廃墟などのディープな地域情報を発信している

──すごい!ファンの方が殺到したんでしょうか。
平沢さん:それが、初めて『愛知県漂流』を知った方ばかりでした。「こんな雑誌あったんですね!」と皆さん衝撃を受けていて。
「ふるさとの棚」以前に担当していた「資格書の棚」では、特に選書のカラーはなく、試験日に合わせた内容の本が発売される。自分が担当じゃなくても、売れる本ばかりでした。
一方で『愛知県漂流』は、私が仕入れたことで売れた本。「自分にしか売れない本が存在するんだ」と気づいたんです。本を扱う仕事として価値観が大きく変わった決定的な体験でした。
──マイナーに見えても、刺さる人に刺されば数字としてちゃんと結果が出る。
平沢さん:自分自身が好きなものを発信すれば、こうして仲間が集まるんだな、と。加えて『愛知県漂流』は、自分自身もそこに参加したいと思わせてくれるような本だったんです。まさに『本の雑誌』のような雰囲気でした。当時の愛知県が「文化不毛の地」と自虐することもあるなかで、個人でこれだけ面白い活動をしている人がいるというのも印象的でした。
──酒井さんとは、後に日本の廃墟や珍スポット、レトロな街並みなどを専門に扱う『八画文化会館』を一緒に手掛けることになりますね。
平沢さん:はい。酒井さんのいた会社が新たに東京で出版事業部を立ち上げることになって、「一緒に本を作りませんか」と声をかけていただいたのがきっかけです。本を売るのも楽しいけど、仲間と一緒に本を作る編集部にも憧れがあったので、2010年に転職。編集長として『八画文化会館*』を創刊して、30代はずっと制作に打ち込みました。
*現在は「Nuts Book Stand 」で販売中

やっぱり本が好きだった
──2024年には、ご自身でオンライン書店兼独立系出版社「Nuts Book Stand」を始動されます。“いつかきっと、自分の出版社と本屋を作って、生きていくんだ。”という思いを長年温め、はじめの一歩を踏み出したとnoteに綴られていたのが印象的でした。
平沢さん:ちょうど40歳を迎える2022年、『八画文化会館』が会社の事情で休刊しました。仕事とプライベートの境目がないような状態だったところから、ふと立ち止まって人生を振り返る中で、「やり残したことをやっておこう」と思い立ったんです。
「やりたいことリスト」に最後まで残ったうちの一つが、格闘技のリングに上がりたいということ。それでキックボクシングのジムに通い始めました。
もう一つは、家族を作りたいということ。ところが婚活の準備のために婦人科で検査したら子宮の病気が見つかって、急遽手術することになったんです。さらに翌年には大腸ポリープまで見つかって、再び手術して。何度も手術の同意書にサインを重ねるうち、「人はいつ死んでもおかしくない」と実感したんです。
術後も予後が苦しくて、死ぬような思いをする中、病院のベッドの上で「今のうちにやり残したことをやっておきたい!」と、香港行きのチケットを予約しました。

──やり残したことは「旅」だった。
平沢さん:それまでも旅はしていましたが、あくまで取材のため。自由な旅ではありませんでした。気の赴くまま好きなことをやろうとたどり着いたのが、2泊3日の香港一人旅だったんです。
でも、いざ「自由な旅をしよう」と香港に行っても、結局現地の本屋さんを巡っていて。やっぱり私は純粋に本というものが好きだったんだなと、あらためて実感しました。
──原点に立ち返るような旅だったんですね。
平沢さん:「何者かになりたい」なんて関係なく、自分が自然体でやりたいことをできる範囲でやってみようと、帰国後に始めたのが絵日記でした。『東京滞在記』と称して、東京育ち・東京在住の自分が、あえて旅するように東京を歩いて感じたことを綴る絵日記です。
朝キックボクシングの練習に行った後、喫茶店で絵日記を描くという日々を送りました。思い起こせば小学校の図工の時間、絵の横にびっしりと文章を添えるのが好きでした。私が自然体で何かを発信しようと思ったら、この形になるんだな、と。

──そこからどのようにして「Nuts Book Stand」につながったんでしょうか。
平沢さん:『東京滞在記』を1冊の本にまとめて一段落した時、文章で何かを発信すること自体は好きだけど、作品だけを作り続けることにはあまり重きをおいていないのかもしれないと、ふと思ったんです。それよりも、本を介してお客さんや本屋さんからリアクションをもらえるほうが、やりがいを感じる。人とダイレクトに関われるような活動が好きなんだと気づきました。
また組織に所属する立場だと、店舗の閉店や転勤といった自分以外の都合で、好きだった仕事が続けられなくなるということを何度も経験して、自分で運営しない限りコントロールできないということも痛感していました。
本屋と出版社を個人で運営していくのが、やりたいことを自然体でできる方法かもしれない。こうした思いが、「Nuts Book Stand」につながりました。
心に響いたものを“ピック”する

──noteでは、Nuts Book Standとしての一歩を踏み出してからの日々が綴られています。何かが新たに始まるワクワク感と、悩みながらも思い描く方向に進んでいこうとする熱量と。心に火を灯してくれるようなご発信に、「私も頑張ろう」と背中を押して頂ける思いです。新たなご活動、どんなところが楽しいですか?
平沢さん:プライベートがないのは相変わらずですが、自分でコントロールできる分、ストレスはほとんど感じません。企業でやるとなると予算や期限に制約があったり、失敗できないプレッシャーを感じたりもしますが、自分一人でできる活動だと、印刷方法ひとつとっても思いついたことを細かく試せるのが楽しいですね。自分の船を自分で漕ぐというスタイルが合っていると、あらためて感じました。
自分が会いたい人、いいなと思う人と一緒に好きなものを作って、好きなように売る。その楽しさを噛み締めています。
──オンライン書店やイベントの出展など、ご活動もどんどん広がっていますね。選書でこだわっている点はありますか。
平沢さん:選書の大きな指針ができたのが、昨年アメリカへ行って西海岸の書店巡りをしたときのこと。
滞在中、ポートランドにある「Powell’s Books(パウエルズブックス)」という世界最大級の独立系書店に行ったんです。「本を仕入れよう」と気合を入れて入店したものの、1日で周りきれないくらいの膨大な量の本の数に圧倒されて途方に暮れていたら、ふと本棚から声が聞こえたような気がして。「あ、この本だったら私は分かる!」という本に出会えたんです。
それが、マクドナルドの「ハッピーセットについてくるおもちゃ」を集めた本や、馬の置物ばかりを集めた本でした。


──すごい!アメリカにも日本人みたいにマニアックな人がいるんですね(笑)
平沢さん:言語を超えて「これいいじゃん!分かる!」と共感できて、思わず本を手に取りました。
「セレクト」ではなく、気になった本を「ピック」する。もしかするとこの感覚が、私が本を扱うときのスタイルなんだろうなと気づいたんです。リアルな書店では棚のジャンルやレイアウトといった制約から逆算して選書していきますが、オンライン書店ではその制限がない分、自分の感覚に響いたものだけを「ピック」するように紹介していくスタイルがいいのだろう、と。
この本に出会ったことで、Nuts Book Standの基準も定まったように思います。
──書店員や出版社、そして個人でのご活動。様々な立場から本に向き合ってこられた中で、あらためてモノとしての本の価値や、本がある場の魅力をどう捉えていらっしゃいますか?
平沢さん:ネットがこれだけ普及する前は、情報を世界に広めるツールとして本に価値がありましたが、今やその役割はネットに移っています。
一方で紙の本の価値は、意図した人にだけ情報が伝わるところや、買った人しか読めないところにあるように思います。自分が本当に言いたいこと、思っていることを限定的な流通経路で伝える。ZINEがこれだけ注目を集めているのにも通ずるかもしれません。ネットと競合しないところで、紙の本は残り続けるんじゃないでしょうか。
またリアルな本屋という場の価値に関していうと、文化的な施設を街並みの中に残せることが、まちの文化としての豊かさの指標だと思っています。本好きが集まってお客さん同士や店主さんとの有機的なつながりが生まれるのも、実店舗のいいところですね。
一方でオンライン書店は、本屋がないエリアの方に一対一で本を届けられる良さがあります。リアルな書店と棲み分けできる存在だと思っています。



「この本、面白そう!」「このイベントに出展したい!」と、ビビッと来るものに出会えた瞬間が至福のひとときという平沢さん。Nuts Book Standとしてのご活動の中で、『八画文化会館』愛読者と出会えた時も、喜びを噛み締めているとか。


