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Tokyo Birthdays #25 スクランブル交差点という社会の縮図

  Tokyo Birthdays  

リクツで説明するのはむずかしい、
けれど「至福」を感じる場所と時間がある

私たちを芯からぐっと強く、
時に優しく包み込み、引きとめてくれる風景。

東京で日々生まれるエントリエ的な一瞬を
言葉と写真でお届けします。

#25 スクランブル交差点という社会の縮図

私は渋谷のスクランブル交差点が好きだ。

初めて駅を降りて渋谷に足を踏み出した時から、私はなぜか「それ」に強く惹きつけられた。それからというもの、私は東京来る度に用がなくても渋谷へ向かった。

ただ「それ」を見て、「それ」の上に立って、そしてまた電車に乗り込んだ。

大勢の人々が一斉に異なる方向へ向かい混ざり合う、あの空間が好きだ。

そういうと、人は皆私がよほど人混み好きな人間だと思うようなのだが、はっきり言おう、私は人混みが大嫌いだ。そう、大嫌いだ。そう、だいk(もういいでしょう)

でも、日常生活においてふと「スクランブル交差点に行きたい」と思ってしまう。

『スクランブル交差点には、社会の縮図がある。』

これはかの有名な偉人の言葉、ではなく私の言葉である。

私たちは普段自分の人生と文字通り向き合って暮らしている。
電車で隣に座る人の人生なんて、申し訳ない、知ったこっちゃないのだ。
芸能人が不倫や脱税をしてしまった背景にどんな理由や苦しみがあったのか、そんなことは関係ないのだ。
自殺は自殺した人が悪いんだと決まっていて、線路に飛び込んで自殺なんてしようもんなら、それはもはやその人だけの責任ではないらしい。
一体どれだけの人に迷惑をかけているのか、いや、会社帰りの一服の時間を返してくれ。ということなのだ。

社会は、多くの「自分」でできている。
そしてそれらは交わり、通り過ぎ、または永遠に交わらなかったりする。
スクランブル交差点はそういう社会を表している、と思うのだ。

短いスカートを揺らして歩く女子高校生。
いかにもお金持ちそうなおじさん。
店の壁にもたれるホームレスのおばさん。
客引きのために明るい声を張り上げる、金髪のお兄さん。
ビジネスバックを持ち、下を向いて歩くスーツ姿のお姉さん。
真ん中で立ち止まって一生懸命写真を撮る背の高い青い目の男の子。

世界にはこんなにも色んな人がいて、私は人生で知らない間に色んな人と出会い、すれ違っているんだな、と思わされる。

そこでは私は「自分」として存在していて、同時にスクランブル交差点を彩る「全体」の中の「一部」であり、そして誰かにとっての一人の「他者」でもありうる。

圧倒的に近い距離で人と接近しながら、とても遠いところから自分と周りの関係を認識してしまう。それがこの場所であり、私はそのような感覚がたまにとても必要になって、そしてこの場所に救われている。

先日足を運んだ森美術館で開催されていた『塩田千春展:魂がふるえる』。はじめの展示室の入口には、こんな言葉が書いてあった。

”Threads become tangled, intertwined broken off, unraveled. They constantly reflect a part of human relationships.

糸はもつれ、絡まり、切れ、解ける。
それは、まるで人間関係を表すように、私の心をいつも映し出す。”

彼女の作品とスクランブル交差点の私たちは少し似ている。そう思った。それらは、互いにもつれ絡まり、有機的な形を作り続ける。それでいて、それは全体なんかではなく、繋がりのある、個なのであり、それは人間が作り出す社会の縮図だ。

 

映画『万引き家族』で、子供を誘拐し育てた母親に対して警察が取り調べをするシーンがある。そのシーンでの母親役の安藤サクラの目が、私はいつまでたっても忘れられない。彼女の目は、まっすぐに社会に訴えていた。

「捨てる人がいるから、拾うんじゃないんですか。」

私たちにとって、知らない誰かの人生は自分とは全く関係のないものだ。
それは時に邪魔なものであり、時に格好の話題のネタであり、私たちの屈折した正義感と自己満足の向かう先である。
社会システムの中で捨てられた子供を拾い、育てた彼女を私たちは否定することができるんだろうか。果たして私は彼女のようなことは絶対にしないんだろうか。
自殺も殺人も誘拐も紛争も、私は絶対にしなくて、そしていつまでも傍観者であると、言い切れるんだろうか。

いつか縺れた糸の一端が引っ張られたら、私はいとも簡単に今まで関係なかった他者の立場に置かれうるんじゃないか。「自殺も殺人も、誘拐も私はしない」と、私はどうしても言い切れない。
他者がその結果に至る糸の道筋には一体何があったのか、知りたくなってしまう。
もしかしたら私は、私ではない誰か、であってもおかしくはないんじゃないだろうか。
私ではない誰かの存在との遠い関係性の中で、私たちは生きている。

 信号が赤になれば、私たちは皆立ち止まる。
私はこれからどれぐらいの「自分には関係ない人」とすれ違うんだろうか。
そしてどれだけの人の人生を想像し、どれだけの人と実際に人生を分かち合えるんだろうか。 

自分の人生にいっぱいいっぱいで、電車で騒ぐ学生達につい心の中で悪態をつきたくなる時、
テレビの芸能人のスクープに、分かったような人間分析なんかして、勝手に満足を覚えてしまっている時、
遠い国の戦争を、映画のワンシーンのように感じてしまうとき、
私はスクランブル交差点に足を運ぶ。

そして、そこに確かに自分が組み込まれていて、他の人もやっぱり組み込まれていて、それが繋がり動きを持って、大した規則性もなく今日も続いていることを確認する。

そして少し安心する。

「捨てる人がいるから、拾うんじゃないですか」 

そう、私は確かに捨てる人であり、同時に拾う人でありうるんだ。
瞳に、心に、社会の縮図を納めて私はまた私の人生に帰っていく。


 

Ιスポットデータ
渋谷

■プロフィール■
文、写真 / 山崎嘉那子
自己紹介が、書けません。境界線を見つめながら生きている社会人。演劇したり、絵を描いたり、写真を撮ったり、文字を書いたり、ヨガをしたり。自分が生きていることを社会に刻んでいます。コルクラボ所属。

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