Tokyo Birthdays  

リクツで説明するのはむずかしい、
けれど「至福」を感じる場所と時間がある

私たちを芯からぐっと強く、
時に優しく包み込み、引きとめてくれる風景。

東京で日々生まれるエントリエ的な一瞬を
言葉と写真でお届けします。

#22 パラレルワールド

散歩が好きだ、といろいろなところで公言していると、対象は違えど、同じようにまちを歩いて何かを観察するのが好きな人たちに数多く出会った。

そういう人たちと話していると、別れ際に「こんど歩きましょう!」と言うことがある。「こんど呑みましょう!」みたいな感覚で、「こんど歩きましょう!」と言い合うのは、散歩好きならではの合言葉のようでおもしろい。

「散歩」と聞くと、のんびりぶらぶら歩くというイメージがあるが、Wikipediaで「散歩」の項目を見てみたところ、古代中国でドラッグの中毒症状を散発させるために歩いたことが「散歩」の語源、とあった。

当時ほど命がけではないにしても、いわゆる路上観察が好きな人たちにとって、散歩とは、ただ何も考えずにそぞろ歩く無の時間なんかではなく、視覚や嗅覚などの五感から第六感まで、全身の感覚を総動員させる一大イベントなのではないだろうか。

同じまち歩き趣味の人と何人かで歩いたときにおもしろいのが、みんな同じ場所にいるのに、それぞれ見ているものがぜんぜん違うということだ。

たとえば、道に落ちているものの背後にある人生劇場に思いを馳せる人もいれば、ゴムホースがつくりだす無為な曲線美に魅せられる人もいる。建物や文字の意匠に萌える人もいれば、植木鉢からはみ出す根っこに興奮する人もいる(私だ)。

先日は、マンホールが好きな人と一緒に歩く機会があり、これがまたおもしろかった。

マンホールは、場所や目的によって蓋に刻印された情報やデザインが大きく異なる。ぜんぜん知識のない私からすると同じように見えてしまうマンホールでも、詳しい人にとっては、マンホールを見るだけで、自分がいま立つ場所の地下に張り巡らされた水や電気のネットワークまで、一気にプロファイリングできてしまうのだろう。
秘密の地下都市を探り当てる探偵のようで、めちゃくちゃかっこいい。

昔の水路が塞がれた「暗渠(あんきょ)」が好きな人たちと一緒に歩いたときも、楽しかった。暗渠目線だと、表向きは一見分断された道でも実は見えない川で繋がっている、ということがある。

暗渠の付近には、昔の橋脚やクリーニング屋など、かつて川だったことを示すサインが残っている場合もあるらしい。暗渠を意識することで、その場所の地形や昔のまちの風景が感じられるのだ。

まちの中には、元からそこにあるものや、誰かが意図して設置したものもあれば、無意識に落ちていたり生えてきたりするものもある。

誰かが意図して設置したものの理由を探ると、その背後に、誰かの仕事の形跡や目に見えない都市のネットワークが見えてくる。またその場所の自然地理を調べると、人の手が入る前の地形が浮かび上がってくる。

一方で、無意識に存在するものに目を向けると、一見計画されたもので囲まれたようなまちの景観にちょっとしたバグを感じ、自由な気持ちになる。私はどちらかといえば、そういうまちのバグに惹かれてしまう。そして、バグに多く出会えたまちほど、妙に愛着が湧いてしまう。

路上の植物は、そういったバグを生み出すのに一役買っているのでは、と思う。計画されて植えられた街路樹もあるものの、勝手に生えてきた雑草もあれば、誰かの育てた園芸植物が路上に逃げ出す場合もある。人間の計画した枠に収めようとも、なかなか静かに収まらないところが、またいい。

その人の持つ視点や価値観、意識の置き方によって、同じ風景をいかようにも味わえ、解釈できるというのが楽しい。人の視点を互いにインストールし合ってみると、同じ場所であっても、何度も新鮮に味わい直すことができる。

まちはパラレルワールドなのだ。

Ιスポットデータ

東京都荒川区・南千住界隈

■プロフィール■
文、写真 / 村田あやこ
福岡出身。路上で威勢よく生きる植物に魅せられ「路上園芸学会」名義にて、その魅力を発信。

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