Tokyo Birthdays
リクツで説明するのはむずかしい、
けれど「至福」を感じる場所と時間がある。
私たちを芯からぐっと強く、
時に優しく包み込み、引きとめてくれる風景。
東京で日々生まれるエントリエ的な一瞬を
言葉と写真でお届けします。
#12 アメリカンラプソディ
空港に行くことになると、いつも思い出す出来事がある。
それは、自分がアメリカへ留学へ行く日の駅でのことだ。
20歳になったばかりの夏の日、ウキウキと空港へ向かう自分と、いつも通り仕事に向かう母親と同じタイミングだったので駅まで一緒に行くことにした。別の電車になるから、軽く「じゃーね」というと、駅のホームで母親が号泣しはじめた。
20歳の男にとっては、とても恥ずかしくて逃げるように「なんで泣いてんだよ」と言い放ちその場を去ってしまった。
自分には、見送りに来てくれる彼女に会いに行き、しばらく会えなくなる事になるほうがよっぽど一大事だった。
留学生活はとてもエンジョイしていたので、家族の心配なんぞ気になることもなく、たまに電話したとしても、
「お金足りなくて、振り込んでくれる?」が常で、親は息子に不憫な思いはさせまいと翌日にはいつも補充してくれていた。
アメリカで骨折した時も、何も助けてあげられない事が悔しいと手紙をくれたり、励ましの言葉をかけてくれた。
その手紙にも、とくに返事はしなかったと思う。なぜか、姉がくれた手紙の中に父親から「帰りに使え」と特急列車のグリーン席券が入っていた。
当時は心配されることがうっとうしく感じていたけど、父親のグリーン席券から、なぜか愛されているんだと思えるようになった。
強がってはいたけど、どこかで無理をして疲れていたのかもしれない。
帰国の日が迫ると母親のご飯が無性に食べたくて仕方なかった。
帰ってきた自分を家族はあたたかく迎えてくれて、リクエストした料理は全部作ってくれていた。
自分が親になって、はじめて気が付くことが多い。
当たり前なのかもしれないけど、あの時の母親の涙は、今は自分が子供に流す立場になった。帰りたいと感じてくれる場所を用意する番だ。
空港は羽田にしろ成田にしろ、当時の勇ましい自分の思い出と、お母さんごめんなさいそしてありがとうの感情が入り混じる場所だ。
羽田空港
■プロフィール■
文、写真 / Kosaku Nango
1979年生まれ、東京出身。現在、会社員として働くかたわらで、写真家としても活動中。